政治家はなぜ「お願いするのか」その8

2010/10/02


私は子供の頃、父が働く炭鉱で炭塵爆発事故があり、小学校の校庭に運び出された真っ黒な御遺体が並べられたのを見た事がある。

近くの大人が顔は焼け爛れているけど皆、目はきれいだよと教えてくれた。

 

爆発は一瞬だけど反射的に目は閉じるので瞳は焼けないからだそうだ。

この中には私の同級生の父親もいた。

 

私は見なかったが、奥さんや子供たちが「お父さん」と泣き叫びながらすがりついていたという話を父から聞いた。

父も母も泣いていた。私も泣いた。

 

息のある人が「まだ死ねない」と言いながら息を引き取ったという話も聞いた。

戦争も終わり平和な世の中になったのに、家族を残してこんな事故で死ぬなんてどれ程無念だっただろう。

 

人は思いを残して死ぬのだということを思い知らされた。

死は理不尽だ。

 

人はどういう時死ぬことができるのだろう。

 

死は有無を言わさずやってくる。

病気にしろ事故にしろ好き好んで死ぬ者はいない。

 

確かにそうだ。

余程の理由が無ければ好き好んで死ねるわけはない。

 

しかし、まれに人は自ら死を選ぶことがある。

精神的な病の自殺ではなくてだ。

 

それは、自分の死が大きな価値のある事に生かされると信じられる時だ。

ポンペイの火山灰に埋もれた遺跡にはわが子をかばいながら死んでいった母親の姿を見ることができるという。

 

命とまではいかなくても、他人の命を救うために臓器の一部を提供したり、わが身を犠牲にして他人を助ける行為は人間が自分を犠牲にして何かを守りたいという崇高な気質を内在していることを示している。

それでも人は本能的に死を恐れ、何とかこれから遠ざかろうとする。

 

戦後一貫して教育されたのは「死は悪」という教育だ。

これは、キリスト教が教える「自殺は悪」という考えと、特攻隊に象徴される挺身思想を封殺すること、切腹に象徴される武士道を根絶やしにしたいという魂胆が丸見えだ。

 

人は放っておけば安きに流れるのは自然なことで、死にたくない、楽したい、遊びたい、得したいという本能の理由付けにもってこいの思想だったので根性なしの輩が飛びついた。

 

一死をもって万民を救う事例は歴史上枚挙にいとまはないが、こういった思想は戦後巧妙に抹殺されていた。

GHQは日本国民が本来の日本人の魂を取り戻す事を極度に恐れていたからだ。

 

特攻隊の出現はアメリカ軍を震えあげさせた。

戦後は様々な理由や思惑で実効力のないクレージーな戦法だったという事がアメリカ向けにも日本向けにもプロパガンダされ、それは現在も続いている。

特攻は哲学的、イデオロギー的、政治的な批判は山のごとく行われるが、事実を事実として冷徹で客観的、科学的な検証はなされることが殆どない。

 

特攻の客観的事実はそうした批判的プロパガンダとは大きく異なることが史実を忠実にたどり、定量的評価をする事でわかる。

沖縄戦に限っても、撃沈されたアメリカの艦船は30隻、損傷を受けたものは300隻、戦死者5000名を含む1万人以上の被害を蒙っている。(史料によって多少の差異はあるが大きくは違わない)

太平洋艦隊司令官のニミッツは沖縄戦が始まって2ヶ月でこの惨状を目の当たりにし、これ以上持ちこたえることはできないとワシントンに打電している程だ。

沖縄戦当時の日米の残存兵力の差を考慮するとこれは奇跡的な戦果である。

 

アメリカ兵のインタピューで「我々は死んだも同然です。日本本土侵攻作戦の噂は出ていたがそうなると生きては帰れない」と語っているものが残っている。

前線のアメリカ兵の偽らざる言葉だ。

 

アメリカ兵の中には精神的な病に陥る者も少なくなかった。

アメリカは厭戦気分が広まるのを恐れて厳しい言論統制を行い、本国では特攻については一切報道されなかった。

 

後に巧みにルーズベルトの死亡時に目立たないよう一括報道され、殆どの国民の目をそらせる事に成功している。

「勝った勝った」と大本営発表をしていたのは日本だけではなかった。

 

戦後、社会が落ち着いて当時の特攻隊の生き残りのパイロットたちが戦後民主主義的な立場でインタピューに答えて特攻攻撃を否定する場面はないではないが、戦後間もない頃の社会の空気(平和憲法万歳的空気)の中で、常に批判の矢面に立たされてきた旧軍人が占領下の日本で生きていく上ではやむをえない発言も多かったと思われる。

もちろんこの空気はそのまま現在もいびつな形で増幅されながら続いているわけだが。

 

こういう議論をすると必ず、生命の大切さ、とか倫理的、道徳的、社会的観点から反論してくる人たちがいる。

もちろん、こうした議論は最終的にはとても重要だ。

 

特攻についても私は個人的に決してこれを戦術的にも、倫理的にも積極的肯定はしない。

しかし、戦争中にこれを選択し、自分の死で未来の万民(つまり我々)を救う道が切り開かれると信じて決行した先人達に畏敬の念を抱かずにはいられない。

 

繰り返しになるが、そういう倫理的な側面をあえて無視し、冷徹な機械的、功利的な考察をする事は必要だ。

戦争というのは国家が互いに人を殺し合う行為で、一旦始めたからには勝つ事が目的なのだから。

 

人は人を殺したくない。そして殺されたくもない。

しかし長い人類の歴史の中で戦争がなかった時代はない。

 

戦争が嫌だからといって、戦争から目を背けたり、平和平和と空念仏を唱えたりしても戦争を無くすことはできない。

それは水害が嫌だからと言って、水害から目を背けたり、お祈りや祈祷を続けても水害を無くすことはできないのと同じだ。

 

水害を防ぐには過去の水害を分析し、客観的な事実を冷徹に検証し防災対策をする事に誰も反対しないのに、戦争を防ぐ話(防衛論)となれば狂信的な平和主義者から、かなり平均的な思想の人までが何かにとりつかれたように議論の入り口で情緒的な拒否反応をしてしまう。

 

戦後の日本は本当に不思議な国になったものだ。

 

1971年に日本テレビで「アニメンタリー決断」という大東亜戦争を題材にした戦記アニメが毎週放映されたことがある。

当時としてはかなり史実に忠実で、思想的なかたよりも殆どないと言うより、戦争懺悔の傾向の方がむしろ強い内容であったにもかかわらず、最終の26話は突如として戦争とは全く関係ない話で終わっている。

 

それは、戦争を題材にしたこのアニメに対してPTAや各種教育団体から戦争美化、軍国主義の復活と批判されたことが原因と言われている。

戦争中は、軍部のご機嫌とりに夢中だったマスコミというより世相一般は戦後は一転して平和憲法様様となる。

 

今風に言えば「勝ち組」に付こうとする姑息で、未熟な社会風潮がそれぞれの時代で形を変えているだけにすぎない。

事実から目を逸らせば戦争賛美も戦争嫌悪も同罪である。

 

大切な事は、まず、事実を事実として検証し、特定のイデオロギーに惑わされずに自分で判断する感性を養うことである。

民主主義の根幹である世論は常に正しいとは限らない。

 

戦時中の世論は軍部の代弁者のようだったし、戦後の世論はGHQの代弁者のように見える。

戦時中の「鬼畜米英」、「一億火の玉」、「一億総特攻」、と現在の一億総懺悔、自虐史観から来る各種騒動の根は同じように感ずる。

 

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