平成26年 新年を迎え武道精神を考える

2014/01/01


 

新年あけましておめでとうございます。

今年はどんな年になるかではなく、我々がどんな年にしていくかという気概で進みたいと思います。

 

二年前のお正月に「平成24年あえて日本に苦言を呈します」という表題でコラムを書きました。

その中で日本の経済問題とその処方箋の私的考察を述べましたが、その一部はアベノミクスでほぼ私の主張と同じ論法で進められております。

 

アベノミクスは一般的には手厳しい批判の方が多いように見受けられますが、私は現時点ではほぼベストの選択だと思っています。

しかし、この方法は二年前にも書いたように国家間の摩擦は必ず生じてきます。

 

国家間の問題は小学生の優等生的、教科書的な対応では解決できません。

こちらがどんなに平和的、合理的な解決を望んでも現存する利権を力で守ったり奪い取ろうとする組織は厳然として存在します。

 

ここでいう組織とは国ばかりではありません。

グローバリズムとは、国家を超越した利益団体の存在を許すシステムなのですから。

 

国家間の問題というより国家も含めたグローバルな利益集団間の問題と言った方が正確かもしれません。

我々個人の正義感と国家の正義感は少なくとも民主主義では大筋一致しているはずのものですが、国をまたがった利益集団は、我々の主権が及ばない範疇にまたがります。

 

およそ殆どの社会人は自分の生活の糧をどこかの組織に属することで得ているわけです。

個人の正義感と組織の行動規範が一致しない事はこれから多く見られることになるでしょう。

 

本当に正しい事が何なのかが分かり難い世の中になってきました。

しかし分かり難いからと言って判断を放棄してしまうのは大変怖いことです。

 

先人達の知恵の集積や規範つまり伝統です。

これを自分の頭で咀嚼したうえで、更なる考察を行い練っていく、つまり修練です。学習と言っても良いかもしれません。

 

これを行動として実践させる実行力を養うのが稽古です。

稽古は自分が賢くなり、強くなるための行動です。

 

自分が賢くなり強くなれば自分と自分が属する利益集団の規範が違う時の行動の選択肢が多くなります。

自分の正義感と異なる選択を理不尽な力(暴力)で強要されてしまう。弱いとはこういうことです。

 

ここで言う強さとは暴力に屈しない力の事です。

自尊他尊、共栄の道を選択できる力のことです。

 

武道はこうした自分の行動原理を律する道を知らしめてくれる指針となります。

今年も武道に励み、より強くより自由である自分を目指しましょう。

 


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