ヒット カウンタ

やるなら今だ

もし人生やりなおせたら。
もし現時点の記憶を保ったまま人生を最初からやりなおせたら大成功できるのだがと考えた事はないだろうか。

受験にしても、仕事にしてもスポーツ、音楽、外国語、武道、その他の資格、全てもう一度やり直せるのならすごいことができそうだ。
いやきっとできるに違いない。

もう一度人生をやりなおせたら、何にだってなれそうだ。

でも、本当にそうだろうか。
今回この「やり直し幻想」を検証してみたい。

飲み屋で不平不満を語っているおやじがよく言うセリフがある。
「俺もあと10年若ければなあ」

これは、ずるい言い方ではあるが、まったくのホラでもないと思う。
よく考えるとこれは「人生やり直せたら」の縮小版、プチ「やり直し幻想」であることがわかる。

人は、皆向上心を持っている。
しかし、いろいろ怠惰な気持ちや他の誘惑に負けて低きに流れてしまう。

そして、現状に対して後悔の念を常に持っているのだ。
だから、もう一度やり直せたらという願望を持つ。

しかし、大半の人はもう手遅れだと考えてしまう。
では、10年後を想定して欲しい。

自分の現在の年に10年プラスするのだ。
その時点で今を見直せばどうだろう。

全て達観して一切の後悔も反省もないであろうか。
けっしてそんな事はないと断言できる。

その時点でもきっと「俺もあと10年若ければなあ」という思いはあるに違いないのだ。
人は過去の反省は得意である。

これは自分に対してだけでない。
他人や社会に対してもだ。

歴史を考えても、殆どの人が神にでもなったように過去を批判している。
後から、批判することは簡単なのだ。

問題はその時点に立った時、その時(現時点)にどう判断し行動できるかが重要なのだ。

私がライブドアとフジテレビの争いは久々に見るガチンコの喧嘩としてコラムで紹介したのが一ヶ月前である。
その中で、私がライブドアの社長ならこうするという予想をたててみた。

翌日のテレビ番組でライブドアの社長(堀江氏)は自身の口から私と同じ考えを吐露した。
私はその事を一週間後に久々に見るガチンコの喧嘩2で述べた。

規則(法律等)の考え方として必要条件と十分条件という大きな二つの観点があることを述べ、堀江氏の行動が違法ではないことを示した。
そして最後に「フジテレビは喧嘩を売られたわけだから、正々堂々と受けてたてば良い」と希望を述べた。

ニッポン放送はその後、増資をして当初私がライブドア側の手段(分母を増やして相手の発言権を奪う)として予想した方法を取ろうとして、訴訟合戦に入った。
現時点(平成17年3月13日)では、それを差し止めるライブドア側の仮処分申請が東京地裁で認められて第一ラウンドではライブドアやや有利の判定が出たところである。

フジテレビの作戦は現時点では大きく挫かれた形である。
フジテレビ首脳、顧問弁護士の作戦はまずかったのであろうか?

これはなんとも言えない。
時間を一ヶ月遡って(プチやり直し)フジテレビが取れたであろう選択肢を考えてみよう。

  1. TOBの目標を25%なんて弱気な設定にしないで当初の50%以上を持続し、買取価格を大幅に引き上げる。

  2. 増資(新株発行予約)をあからさまな自己保身見え見えの莫大なものにせず、訴訟に耐えられるギリギリの量に押さえる。

  3. 有力な第三者を介してライブドアと交渉する(例えば株の買取など)

等が考えられる。
第一の選択肢を取らなかった理由が私には一番疑問だ。
しなかった理由を想像すると、

第二の選択肢(必要最小限の増資)を取らなかった理由は顧問弁護士の意見が大きな要因になっていると思う。

ニッポン放送(フジテレビ)の取った手段(大量増資計画)は完全勝利の獲得だ。
これは空手で言えば逆転の一本狙いの手であり、ボクシングで言えばKO狙いだ。

判定(訴訟)などの入り込む余地のない完全勝利を狙ったものだ。
でもこれは単純に考えると莫大な資金を必要とする。TOBの買取価格を上げるどころの騒ぎではない。

TOBの価格引き上げも一切しなかった金銭感覚から見れば、考えられない作戦のようにも見えるが実はこれはカラクリがある。
TOBで使う資金はすべて外部へ流れる金であるが、親会社(この場合はいびつであるがニッポン放送)の増資を子会社が引き受けるということはそれがどんなに莫大な金額であろうと、子会社から親会社への資金の移動であって対外的な債務になるわけではない。

単なる帳簿上の問題でしかないのだ。
しかもその結果親会社、子会社の立場は逆転し、ニッポン放送は完全なフジテレビの子会社となるわけだから、その現金はフジテレビのものとほとんど同等の意味になる。

いわば見せ金でしかないのだ。
どのような手段で資金を調達するつもりだったのかは知らないが、たとえ融資を受けるものであっても、いつでも返却可能なので、リスクも少なく融資を引き受ける金融機関はいくらでもあるだろう。

この作戦の一番の弱点は訴訟(仮処分申請)を起こされる公算が強く、その場合の抗弁が難しくなるということだ。
しかし、フジテレビはこの手段を選択した。

そして、この差し止めを要求したライブドアの主張を裁判所は仮処分とはいえ認めたというのが現時点の状況である。
現時点でフジテレビ(の作戦)をこのように批判する事は簡単だ。

しかし、裁判所がこのように判断するかどうかはその前の時点では全くわからない。
現にテレビなどでも法律の専門家の予想は五分五分だった。

ライブドアに分があると私と同じような予想をしていたのは佐山展生(一橋大学大学院助教授)氏くらいだった。
彼の分析は正論だ。

しかし正論が常に勝つとは限らない。
現時点ではフジテレビは負けたがしかし、これだけでフジテレビの作戦を非難するわけにはいかない。

もし、裁判所がライブドアの申請を却下していたらフジテレビは完全勝利をものにしていたからである。
フジテレビは完全勝利を狙いすぎて失敗したのであろうか。

こう考えるのもちょっとフジテレビに対して失礼のような気がする。
この喧嘩イチかバチかの勝負に出られるのはライブドアのほうであり、フジテレビは大企業で守る方であるので、こんなリスクは普通取らない。

しかし、TOBの目標を下げてしまうなど超現実的選択をしたわりには増資作戦では賭けに出たかのように見えるこの流れの本質はどこにあるのか。
私はこういうときいつも感ずることがある。

専門家が練りに練った作戦というものは得てしてこんな結果になることが多い。
戦史が好きな人なら、過去の有名な戦闘や戦略で後から考えると何て馬鹿な計画なんだろうと思う事が山ほどある事をご存知だろう。

どんな実績のある戦略家であっても現在の視点で考えると理解に苦しむような選択を多くしている。(もちろん現在の世界観や善悪の判断、倫理的考察は抜きにして、単純に勝ち負けのみを取り上げた視点での話である)
彼らが皆馬鹿であったはずがない。

あらゆる観点から当時の衆智を集めて練りに練った作戦であっても、今見直せば馬鹿な作戦に見えるものは枚挙に暇が無い。
これくらい、「現時点で適正な判断をする」ということは難しいのだ。

「いや、そんな事はない、おれなら、もっと適切な判断を下せた」と思うなら、身近な事で未来を予測してみたらよい。
例えば、もし貴方がフジテレビの会長であれば、今日の時点でどういう作戦をとるか。

あるいはライブドアの社長であれば次はどうするのか。
そして、今までの経緯から類推してこの二人が明日以降どのような作戦を実行するのかを。

終わってしまった結果を批評するのは皆得意であるが、予測することはしたがらない。
政治家や識者もすぐ「仮定の話には答えられない」とか言って逃げる。

立場上答えられない場合もあるだろうが、殆どは答える能力がないのである。
彼らを非難しているのではない。答える能力がないのが普通なのである。

それを認めなければ飲み屋で「俺もあと10年若ければなあ」とぼやいているおやじと同じだ。
過去に遡って御託をならべるのは馬鹿でもできる。

現時点で当事者として未来に向かって正しく判断し、正しく決断し、正しく実行していく事が難しいのだ。
これが難しいということをまず素直に認識すること。
「やり直し幻想」は幻想である可能性が高いこと。
これが出発点だ。
しかし、難しくても常に現在を「その時」だと自覚し、「やるなら今だ」と思い、判断し、決断し、そして実行していくことは今日からでも可能だ。
“現在”は10年後から見れば「あと10年若かったら」の「その時」なのだから。
10年前だったらできることが今なら出来ないという理由は殆ど言い分けにしかすぎない。
もし100歩譲ってそうだとしても今出来ることは山ほどあるのではないか。

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