ヒット カウンタ

天才ジャズマン植松孝夫氏の飛び入り


先日、忘年会で公開するため昔のビデオを整理していたら、面白いものを発見した。
14年前の私のジャズの演奏テープである。

私自身のジャズはとても公開に値するようなしろものではないのだが、そこで競演している人がすごいのである。
日本を代表するジャズテナーサックス奏者の植松孝夫氏がその人である。

植松孝夫氏の凄さは私が説明するまでもなく周知のことと思うが、ジャズをあまり知らない方はグーグルで検索してみることをお薦めする。

演奏の場所は御茶ノ水の「1933」というジャズライブの店である。
これはある音楽仲間が催した忘年会に招かれたとき、私が飛び入りでピアノ演奏をさせていただいのであるが、そこにたまたまゲストで招かれていた植松孝夫氏が登場し、そのままジャムセッションになった顛末なのだ。

トランペットも上手な方が飛び入りされていたが彼がプロかアマかは分からないし名前も知らない。
アルトサックスは杉谷さんという方で、現在は赤坂の有名なジャズスポット「B♭」というお店のオーナーである。

突然の事なので打ち合わせもなく、じゃブルースでもやりますかということでチャーリパーカーの名曲「ナウザタイム」をやったのである。
というより植松氏がいきなりこれを吹き出したのである。

ジャズという音楽は、即興演奏がその醍醐味である。
「ジャズに名曲なし、あるのは名演奏のみ」という言葉がある。

どんな曲でも優れたジャズマンは自分の解釈で自分流にアレンジして演奏してしまう。
一般にはスタンダードという欧米(とくにアメリカ)のポピュラーな歌を題材にすることが多いが、それにこだわる必要はない。

現空研のダチョーハンターの結婚式でジャズピアノを演奏させていただいたが、その時私がダチョーハンターのイメージに合わせて選んだ曲は童謡の「夏の思い出」とビートルズの「イエスタデー」だった。

ジャックルーシェという人は常にバッハの楽曲をジャズにすることで有名だったし、フリードリッヒグルダという人はクラシックの名ピアニストであるが、アンコールにはよくモーツァルトの曲やヨーロッパの民謡などをジャズ風にアレンジして弾いていた。

いずれにせよ、ジャズは素材としての楽曲は何でも良いのである。
その曲の基本構造(音程を決めるキーが何で、何小節で作られているか、サビといわれる盛り上がりの部分の構造がどうなっているのか)とあとはコードといわれる和音とそれの時間軸に対する変化(コード進行)さえ共通事項として認識しあえば後は各自の即興を競うという展開になるのだ。

ジャムセッションとは、こうしたジャズの特性を利用した演奏形態である。
誰もが知っているポピュラーな曲やブルースといわれるゴスペルから進化した独特の12小節を単位とした構造の曲がテーマの曲としてよく選ばれる。

後は、即興で相手の出方をうかがいながら全体としての曲を組み立てていくのである。
自分のやりたい事や感性を主張しながら、相手の音も良く聞き、意図をさぐりながら呼応していく。
これって何かに似ている気がする。

そう、まさしくこれは音楽の自由組手なのだ。
テーマとなる曲とその構造が空手のルールにあたる。

そのルールの範囲ならば何をしても良いのだ。
相手の反応を見ながら(聴きながら)自分の次の手を考えていく。

普通の音楽は大抵楽譜があってその通りに演奏する。もちろん解釈や工夫でそれはそれで大変奥深いものがあるのだが、楽譜とはまったく違うメロディーを互いにぶつけ合うといった事は通常ありえない。
つまり普通音楽は空手で言えば約束組手の世界なのだ。

しかし、ジャズは違う。
即興演奏の能力が全てと言って過言ではない。

もちろんそこには定石があって、無難にまとめたければ定石に従うのが良い。
しかし、天才と呼ばれるような人は、何をやってくるかわからない。

始めの合図とともにいきなり上段回し蹴を放ってくるような演奏もある。
植松さんはそうした奇襲にでるような人ではないが、音感リズム感といったファンダメンタルが常人には計り知れない領域にある人なので楽しい反面底しれない恐怖感もあるのだ。

ビデオは、私がピアノの前でこれから何を演奏しようかと楽譜をペラペラめくっている時、いきなり司会の方が、「皆様おまたせいたしました。我らが植松様が到着なされました」と言うシーンから始まっている。

ざわざわとあわてるバンドの連中の様子がわかる。
私も、何を演奏するか、あらためて楽譜をめくっている。

そこに、寒い外から店に入ってきたばかりの植松氏が登場する。
画面では見えないが楽器をとりだし、調整の音を出しているのが聞こえる。

程なく画面に登場し、音合わせの後一言、二言私と打ち合わせを交わすと、楽器も温まっていないのに、ドラムにテンポをとるように促したかと思うといきなりナウザタイムのテーマに入っていくのである。

ここいらへんのスピーディーな展開が凄い。
わざとリズムをずらし遅れ加減でテーマを演奏する植松節の演奏はやはりすばらしいの一言に尽きる。
アドリブに入っていくと私は必死に彼のインプロビゼーション(即興)を聴いてバッキング(伴奏)を付けている様子がわかる。

そして植松氏が絶妙に呼応してくれるとやはり嬉しくて笑顔もでる。
空手でも、上手な人の見事な突きを受けて効いた場合、苦しさとともに喜びも感ずるのと同じだ。

後半に私のインプロビゼーションのところにくると、画面を見ているだけで冷や汗がでるのであるが、私のソロの最中植松氏がトランペーター氏となにやらゴニョゴニョと話をし、いきなりオブリガートを入れてくるシーンがある。

いってみればこれは応援団の掛け声のようなものだ。
私はこれで気持ちが良くなって、ガンガン音を出し、普段あまりやらないブロックコードでメロディーラインを弾いたりして高揚しているのが分かる。

演奏はまだまだ長く、他の曲もあり植松氏の凄さが分かるのだが自分の恥をさらすのも限度があるので、このくらいにしておこう。

しかし、ジャズの演奏も空手の組手も同じなんだと思えるようになったのは最近である。
いや、考えてみると、仕事や遊び、地域の人との交流など、全て人間が互いに関わる事というのは皆同じなんだということを強く感じる。

ただ、人はそれぞれ得手不得手の分野があるということは確かだ。
しかし得手の分野でその基本的な原理を理解すれば、その原理で不得手の分野にも解決の糸口を掴みやすくなる事も間違いない。

才能のない分野でも、こうした原理を掴んで地道に努力すれば、必ず進歩はあるし成果を得られると信じている。
私にとって音楽はまさにこうした分野なのだ。


演奏の準備をしているところにいきなり植松氏登場 そのまま演奏へ

私のソロ、そしていきなり植松氏のオブリガード

 

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