福島原発事故で思う

2011/03/28


 

東北関東大震災。
まず、ごの大災害に合われた多くの方々に心よりお見舞い申し上げます。

 

本日は2011年3月/28日、地震が起きたのが03月/11日14時:46分頃だから約2週間経ったことになる。
今回私は訳あってニュースをじっくり見る期間が長く取れた。

 

まだ、この災害は収束したわけではなく、余震も含めてこれから何が起き、どういう展開になるか予断を許さない状況にある。
これまでの展開で特に強く印象に残った事がある。

 

1つは日本国民の倫理観のレベルの高さ。
戦後最悪と言っても過言ではないこれだけ壊滅的な被害に襲われた多くの都市で略奪や暴動的な事件を私はニュースで目にすることは一度もなかった。

 

そして、自発的な支援の表明や行動が極めて早い時期から多数起こった。
これは日本国民の一人として誇らしく思うし、海外のニュースでも多数取り上げられていたようである。

 

一方、無性に悔しいというか腹立たしく思った事がある。
それは福島の原子力発電所の事故、とりわけその事故の対処の仕方だ。

 

このイライラは今回に限ったことではない。
1999年東海村JCO臨界事故の時感じたのと全く同質のものだ。

 

東海村の事故は内容は今回とは全く違うがその事故が起きるシステム的な要因や事故の処理の過程、またマスコミ報道その他で根源的な共通項が多くある。
私は個人的に東海村の原子力施設は大変好印象を持っていた。

 

東京理科大学の学生の時、電気工学科の友人(後日本オフィス機器の共同経営者となる)とアポなしでフラリと訪ねて行った事がある。
突然の珍客にも関わらず数名の専門家がその施設の心臓部まで我々を案内してくれた。

 

私は当時原子力による発電には批判的な考えを強く持っていたので、いろいろ意地の悪い質問を繰り返した。若気の至りである。
しかし、その専門家の方たちは、その全ての質問に真摯にそして高度なレベルで分かりやすく説明してくれた。

 

その時感じた徹底的な安全管理と高い技術力そしてそこで働く技術者たちのレベルの高さに感動したものである。
しかしJCO臨界事故の実態を知ったときは愕然とした。

 

何より驚いたの作業工程管理の裏マニュアルの存在である。
驚いたのは裏マニュアルの存在自体ではない。あの素晴らしい東海村でさえそうなのかという驚きだ。

 

国の安全基準にそった正規マニュアルではなく、工程を簡便化した裏マニュアルが存在し、事故当日はこの裏マニュアルを更に改悪した手順で作業が行われ、結果として臨界に達し、多くの中性子線が発生する最悪の事態となった。

(中性子線は、厚い鉛の壁も簡単に貫通する最も怖い放射線)

 

事態の収拾は、特攻隊と言っても過言ではない決死隊の突入で冷却水を抜き連鎖反応を止める事ができた。
しかし、3名の作業員が多量の被爆をし、2名が亡くなった。

 

35歳の1名は、実姉から提供された造血細胞の移植を行うなど懸命の治療が続けられ一旦は成功したかに見えたが、事故から83日後に多臓器不全で帰らぬ人となった。
もう1名の40歳の方は造血細胞の移植が一定の成果を上げ、一時は警察への証言を行う程の回復を見せたが、事故から211日後に容態が急変し同じく多臓器不全で亡くなった。

 

短時間に6〜7シーベルト以上の被爆をしたら最新の医療技術の粋を尽くして治療しても回復は絶望的だと言われている。
私がイライラした原因は、正規のマニュアルに従わず、裏マニュアルや更なる簡便な手順で行った事ではない。

 

それは、実質的には実行不可能に近い正規マニュアルを作成し、それを免罪符にする責任者の姿勢に対する何ともいえない怒りのようなものだ。

そして日本を代表する優良工場の東海村でさえそうなのかという落胆である。

 

私もやがてソフト技術者となり多くの工場の工程管理のシステムも作成した。
そしてその「正しい」運用マニュアルも作成した。

 

しかし正直に言ってその運用マニュアル通りに実施している工場は一つもないと断言できる。
安全規則や法令を正直に守ると、とてもスムーズな実行は不可能になるマニュアルになってしまうのだ。

 

規則や法令はそれを作成したものがどんな事故が起きても責任を負わずに済むように極端に”安全側”に振ったものになっている。
若い頃は良く異議を唱えてぶつかった。しかし法令と発注者の保身主義には勝てない。私自身何度も馬鹿馬鹿しいと思いながらマニュアルを作成した。

 

今保身主義と言ったが、これこそが現代日本の諸悪の根源である。
いや現代に限らない。その根は明治時代から既に見て取れる。

 

絶対守れない速度制限をして事故が起きれば、この規則を守ってくれていたら事故は起きなかったという逃げ口上を作るための交通規則のようなものである。
鋭敏に設定しすぎたセンサーで火災報知機が些細な煙などでもいちいち大音響の警告音がなり、そのためにラインが停止したら仕事にならないのでスイッチを切っている多くのビルや工場を知っている。

 

この場合でも事故になればスイッチを切った現場担当者が責任とらされる。
一つ誤解の無いように言っておく。

 

現場担当者に責は一切ないとは言ってはいない。これはこれでまた触れよう。
今回の福島原発で、3月24日、3名の作業員が被爆した。ニュースでは警告音が鳴りっぱなしの状態で多くの作業員が作業を行っている映像が流れた。

 

作業員は「アラームが故障したと思っていた」というような解説がなされていたが、映像ではそういう風には見えなかった。

鋭敏すぎる感知器は無視する、つまり「マニュアルに従っていては仕事にならない」という、日常の感覚がそうさせたとしか思えない。
少なくともニュースの映像を見る限りはそう見えた。

 

現場は、責任感の強いまじめな作業員たちが、文字通り決死の覚悟で最善を尽くそうと頑張っている。
これは東海村のJOCの決死隊の行動と全く等質のものだ。

 

東海村の場合は2名の尊い犠牲者を出して事態は収まった。
しかし、今回は事故の性質が全く異なる。

 

現時点でのイライラの根源的な原因は命令系統を含めたトータルとしての緊急システムの基本構造の欠陥にある。
この福島原発の事故は今回の震災で最大の緊急を要する事項だ。

 

それこそ戦争にも匹敵する国家的一大事だ。
政府の当初の方針は火を見るより明らかである。

 

それは、「パニックを起こさない」の一言に尽きる。
総理大臣はじめ閣僚の政治ショーと揶揄されている当初の一連の会見については細かい感想は省く。

 

東電は、当初この事態に白旗を揚げたと伝えられている。
全社員の撤退だ。(東電自体はこれを否定しているが)

 

それで政府は激怒した。
まあ分かり易く言えば「お前のまいた種はお前が刈り取れ」と言うことだろう。

 

東海村の事故でJOCが立たされた立場に東電が立たされたのだ。
この政府の立ち位置はいろんなコメントの端々で見ることができる。

 

官房長官が賠償問題に触れたときも一義的に東電が賠償の責めを負う旨のコメントを出している。
全く順序が逆だ。

 

賠償の話は危機的状況が全て解決してから、あるいは解決することが確定してからの話だ。
最悪のケースでは国家存亡にもかかわる未決の重大事を前に何というノー天気なコメントなのだろう。

 

まあ官房長官は全体的にはあの立ち位置としては可能な限り必要十分なコメントを心がけているとは思うが。
こうした構造は大東亜戦争中の大本営やマスコミ、国民そして最大の被害を受けた現場の兵士達と少しも違わない。

 

大東亜戦争中の大本営発表はある意味「ウソ」はあまり言っていない。
戦争末期の幻の大戦果といわれる台湾沖航空戦(米航空母艦11隻を轟沈させる大戦果)も大本営が作った架空話ではない。

 

現場からの報告を何の検証もしないまま(真珠湾攻撃の時は航空写真などで検証しているがそうした能力は既に無くなっていた)撃沈数を単純合計して発表したのだ。
多分担当者はちょっとおかしいと感じたはずだが、久々の嬉しい報告に水をさす勇気はなかったのだろう。

 

そして現場からの報告を信じたと言えば責任を問われる心配もない。
問題になれば現場の報告のいい加減さを責めれば済む話になるからだ。

 

大本営はミッドウェー海戦で大敗北を喫した後は結果的にこういう水増しの戦果を発表するようになるが、その真意はウソで国民をだますというより、パニックを何より恐れたのである。
パニックが起これば反政府運動やクーデターの引き金になりかねない。

 

パニックを防ぐという口実で結果的に事実を隠すという行動様式は戦時中から現在までめんめんと受け継がれている。
そしてその行動の根源的な要因が最も日本的システムの原理、保身主義にあることは昔も今も変わらない。

 

ではこういう緊急事態のシステムはどうあるべきか、,というより今どうすべきか。
保身主義自体を批判するのは簡単だが、緊急事態の真っ只中で悠長に批判をくりかえしても始まらない。

 

いくつかの提言をしてみよう。

 

トップページへ