政治家はなぜ「お願いするのか」その6

2010/08/06


敗戦後の日本社会を大きな捕虜収容所だと考えると敗戦以降現在に通ずる政治の内容が良く分かる。
初代収容所所長がマッカーサーであり、本国のボスは大統領のトルーマンである。

アメリカがこの日本を治めるためのキーワードは二つだ。
恭順と共産勢力対策。

まず恭順のほうから取り上げててみよう
恭順の方はマッカッサー自身も驚くほど上手くいった。
面倒くさい話になると、原爆(武力)をちらつかせる事であっというまに話が進んだ。ヤクザと同じだ。

戦後の日本の首相は個人的に見ると、人格者も多いが、当初はマッカーサーのフィルターに引っかからない人物しかトップにはなれ
ない。
個々には様々な努力は認めるが収容所の塀の中での出来事にしか過ぎない。

 

日本国としてのあらゆる伝統、システムが抹殺されるかもしれない中では良く頑張った。
しかし、我々は、もう一つ忘れてはいけないことがある。それは「捕虜にしては」という修飾語だ。

最悪、天皇も含めて要人全て極刑の上、あらゆる伝統も抹殺され日本全体が巨大な労働力提供システム(植民地)に成り下がる可能性もある
中、何とか相手にとりいったり、裏取引したりして当面の危機を乗り切ることが必要だったのだ。

できそこないの押し付け憲法でも良い。
とりあえず日本国としての連続性を一本の糸で繋げれば、憲法なんかいつでも自主憲法に改正できる。

それ(自主憲法制定)までは、どんな仕打ちにでも耐え、次世代の日本人に未来を託そう。
捕虜にできる最善の方策はこれしかないと思う。

で歴史を見ると「捕虜にしては」良くやったと言えなくもないが、お世辞にも最善とは程遠い。
良くやった部分は、アメリカのご機嫌とりの部分だ。

GHQのご機嫌を損なわないような気配りはたいしたものだ。
これは武家時代から、お家取り潰しに会わないように将軍の機嫌をとりつづけた伝統のなせるわざかもしれない。

これは馬鹿にして言っているのではない。
こういう能力は大きな意味での戦力の一つで、相手を考えずに(自分達の)正論をぶちまけて滅んだり苦しんでいる民族や国はたくさんある


私は中学生の頃、こんな押し付けの憲法をまことしやかにありがたがっているのは、偉い政治家の策略だろうと思っていた。
産業を振興させ、国力を回復させ、機会を見て真の独立を成し遂げた暁には、堂々と我々の新憲法を全国民の合意のもと発布するに
違いないと思っていた。

私は中学3年の夏休みの技術科の製図の宿題で、やはり友人の春田と太平洋上で爆撃機を発鑑できる巨大空母を想定して描いた。
今度やるときはハワイではなくいきなりアメリカ本土を爆撃できる空母があれば良いと思ったからである。(中学生の妄想)

どんな製図も貼り出されていたのだけど我々の作品だけは没になった。
炭鉱を視察にきたアメリカの要人が我々の中学で英語の授業を行うことになっていた。

何らかの配慮でこの製図が没になったのかもしれない。
田舎のせいかアメリカ人教師の前では生徒達はしょうがないとしても英語の先生も妙に無口だった。

父兄も参観している中、私は生徒を代表してその教師の前で英語をしゃべらせられた。
発音が良いと褒めらた。

英語の先生からも後から褒められた。
たいしたことはしゃべってない。(しゃべれない)

「俺は日本人の少年だ、あんたはアメリカ人か? 今日は良い天気だ」
この程度の事を言って終わりだったと思う。

もう一つ思いだした。
教師が指す物を英語で言えと言う。

机を指すと「デスク」、窓を指すと「ウインドウ」といった具合だ。
教師が一人ひとり指名して同じことを行った。

私の隣に高木君という少年がいた。
彼は木登りと人を笑わせるのが得意だった。

その教師が彼を指名して自分の「鼻」を指した。
高木君はすかさず「フラワー」と言った。

シーンとした教室で大声で笑ったのは私だけだった。
先生も生徒も父兄も皆アメリカ人に対して腰が引けていた。日本中こんな感じだったと思う。

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