政治家はなぜ「お願いするのか」その2

2010/08/03


日本の民主主義は本来の民主主義とは程遠いなりたちでできている。

じゃ本来の民主主義とは何か、というふうに議論を深めるとこれだけで過去膨大な歴史の遺産と向き合わなくてはならなくなるので、簡単に多数決の原理で政治を動かすシステムとしておく。

 

歴史は常に勝者が作り、勝者が正当化し、現社会は勝者によって過去から現在の流れを正当化されたものである。

そういう意味で現在の社会は民主主義者が世界を制覇した状況であることを大前提に考える必要がある。

 

日本で言えば、大東亜戦争(あえて第二次世界大戦とは言わない)に負けて、勝者によるアメリカの支配を受け、勝者の原理で押し付けられた政治形態である。

民主主義がシステムとして優れているかどうかと勝者によって押し付けられたシステムであるということは本来別に評価しなければならない。

 

民主主義はシステムとしてはかなり良い物かもしれない。いろいろ欠点はあるがトータルとしてはかなり良いシステムであるように私も思う。(洗脳されているのかもしれないが)

しかし物が良ければその入手経路は問わないということであれば、投げ与えられたおいしい食物を食べあさったり、盗品を平気で自分のものにする輩と行動原理は同じということになる。

 

世界の歴史は覇権の歴史だ。

アメリカの基本原理はパンアメリカン(汎アメリカ主義)だ。

 

無理やり一言で言えば、アメリカ中心に世界を征服する思想だ。

中国の中華思想と一脈通じる。

 

それに比べると日本の大東亜戦争の目標はきわめて控えめだ。

当時、欧米の植民地化政策で疲弊しきったアジアをアジア人の元に取り戻そう、それを日本が率先して行う、というのがスローガンである。

 

世界を征服するだの、世界の中心(中華)になるなんてだいそれたキャッチコピーはなんにもない。

数千年以上続いていた自分たちのアジアの土地を欧米から取り戻そうというささやかなスローガンだ。

(実際に行ったことがススーガン通りであるかどうかは大東亜戦争も含めて全ての戦争で考証しなければならないが)

 

アメリカはこの「大東亜戦争」という言葉を忌み嫌い、GHQはこの言葉の使用を禁止した。

もっとも私が子供の頃は周りの大人は皆「大東亜戦争戦争」と言っており第二次世界大戦などという言葉は教科書だけの世界だったが。

 

GHQは戦争に負けた日本人の復讐心を抑えるためにありとあらゆる努力をした。

まず、武道の全面禁止。とても分かりやすい。

 

一番すさまじいのは言論統制。

勇ましい戦争の話や本、ニュースはかき消すように消えていった。

 

新聞やニュース報道は連日、日本軍の非道を繰り返し報道し、日本人の戦意を喪失させることに成功した。

国産映画は爆撃でやられた焼け野が原や進駐軍の高圧的な情景の撮影は全て禁止された。

 

戦争ごっこやチャンバラ映画の上映も禁止され、紙芝居の子供たちのヒーローに白人キャラクターを登場させるという徹底振りだ。

さすがにこんな紙芝居、我々子供達ですら鼻で笑っていたが。

 

幸運なことに私の田舎の明治時代から残っていた蔵は戦争中も無事でこの中には戦前の絵本や童話や少年雑誌もたくさん残っていた。

戦時中のあからさまな戦意高揚を狙った子供向けの漫画などもあった。

 

私は、進駐軍がおしつけた厭戦漫画と戦時中の好戦漫画の両方を同時に見ることができるという幸運(?)に恵まれたのだ。

この時代を多少客観的に見ることができる素地はこの環境によるところが大きいのかもしれない。

 

子供の私でもGHQのあからさまな思想統制をおもしろくなく感じていたにもかかわらず、もう少し上の世代の人たちは簡単にだまされていたように見えた。

GHQに媚を売るような日本映画も多く排出した。(現在もその思想的な残骸が感じられる言動を耳にすることが少なくない)

 

しっかりとした思想の反戦映画とこうした時代潮流にただ乗りしようとする姑息な商売人が玉石混交だったと思うが、武士道や日本軍のすばらしさや勇猛さを表に出す本や、映画は壊滅状態だった。

 

子供がわりと客観的だったのに比べて大人が洗脳された理由は今になればわかる。

それは、大人は生活がかかっていたからだ。

 

長い戦争で生活はみな苦しかった。

特に戦前の豊かさを知っている大人はそれが身にしみる。

 

そして、軍人特に身近な下級軍人が威張るのも頭にくる。

軍人だけでなく、やたら一億火の玉スローガンに染まった町内の顔ききおばさんやおじさん達の高飛車な態度。

 

子供と違って大人たちがこうした軍事色に辟易していた事も簡単にGHQに洗脳された一因だろう。

何よりも戦争が終わって命が助かった。息子や夫が帰って来る。

 

もう戦争はコリゴリだ。

平和はうれしい。

 

単純にこうした平和が訪れた事に対する喜び。

そして、負けて気分は悪いがアメリカがいやな軍人をやっつけてくれた事。

 

それやこれやで、打算もあってあえて自分から洗脳されていた(あるいはふりをしていた)のかもしれない。

そして、この打算と洗脳のきわめつけが平和憲法だ。

 

私の中学校の社会科の先生は頭は良かったが完全にGHQに洗脳された人だった。

この平和憲法を涙を流して教えてくた。

 

我々は全員この憲法前文を暗記させられた。

クラス委員であった私は、おじさんが回天(特攻兵器)で亡くなった友人の春田とわざとこれを暗記せず廊下に立たされた。

 

父は捕虜収容所で責任者をしていたので終戦時はGHQと何度も対決した。

終戦の混乱時陸軍のトラックをかっぱらってきて炭鉱で使用しようとしたが会社の上層部が怖がって誰も首を立てに振らない。

 

父は頭にきて小倉の陸軍の建物(当時はGHQが接収)にぶつけるべくアクセルを固定して飛び降りた。

トラックはかなり長い距離を無人で突っ走って門に激突して横転した。

 

何十年か後に父と見に行った事を覚えている。

その傷跡はまだあった。

 

こういう家庭であったが、戦後日本の民主主義や平和主義を否定する空気はまったくなかった。

むしろ全くないことに腹をたてていたのは私だった。

 

父母は基本的に軍人があまり好きではなかったのだろう。

(母にはもう一つ軍人が嫌いな大きな理由があった)

 

私だけ戦争に負けた事を嫌がっていたように思う。

しかし敵討ちといった感情ではなかった。

 

なぜ、戦争で負かされた相手のあてがいぶちの憲法をこれほどまでにありがたがるのか。

なぜ、父や兄や弟や夫や息子や叔父や友人を殺したアメリカ兵と仲良くなれるのか。

 

なぜ、軍需施設でない大都市の民家に対するじゅうたん爆撃を非難しないのか。

軍人でない多くの市民を無差別に殺戮した原爆投下を糾弾しないのか。

 

日本軍に対する非難は山のように行われ、それを日本人自身も多くの人が肯定している。

これに対する多くの公式、非公式の声明も出されている。

 

しかし、原爆投下に関しは広島で日本人が建てた碑にもかかわらず「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」と書かれている。

アメリカが落とした原爆で日本人が「過ちをくりかえさない」と言うのはどう屁理屈を並べてもおかしい。

 

アメリカが落とした原爆で何万人もの日本人が死に、それを日本人自身がもうくりかえしまんせん、という文章は小学生でも分かるおかしさだ。

この主語は「全人類」という解釈で現在は決着がついているらしいが笑止である。

 

核廃絶を願う気持ちはりっぱだし、尊敬する。

しかし、原爆を落とされた被害者やその親子、兄弟、同胞、同国人が加害者に成り代わって「過ちは犯しません」、はどう考えても筋が通らないだろう。

 

子供が暴漢に襲われて絶命したとする。

その時、親が犯人の立場で「過ちは二度と犯しません」、と言ったらあなたはどう思う。

 

私は全人類の立場で悲劇を繰り返さないよう願いをこめて宣言しました。

これは、親ではない。化け物だ。

 

戻る    続き

 

トップページへ