ヒット カウンタ

粟国(あぐに)の夜はバイオレンス

現空研メーリングリストにサカ坊の沖縄旅行記が掲載されました。
いつもロマン溢れる旅行記で、読む人の心をほのぼのとさせてくれるサカ坊ですが、今回も心温まる物語です。
今回サカ坊から公開バージョンを送ってもらいましたのでここに掲載いたします。


粟国島 旅行記 1/31〜2/3,2004

サカ坊


会社の出張で沖縄に行くことが決定、日程が木・金という事もあり離島にでも行ってみようと思ったのがきっかけでした。

なんと、沖縄自体が初上陸。

ネットで検索して、理想の島を探しました。

条件は、

1.人口が少ない、開発されていない

2.小さな民宿に泊まりたい

3.とにかく、何もないところでノンビリと過ごしたい

これらを条件に探したところ、「粟国島(あぐにじま)」を発見。

那覇からフェリーで二時間半、周囲12キロ、人口900人。。。

せっかくなので3泊しようと、事前に有給申請を出しておきました。

一見、何もない島での三泊旅行のつもりでしたが。。。。。



【粟国島 上陸】

フェリーといっても小型船で、乗船している人たちも数名。

揺られること2時間半、やがて粟国島が姿を現しました。

「めんそーれ 粟国島にようこそ」と防波堤に書かれた港に入港。

昨夜の電話で民宿のオバァが「港から民宿が見えるさぁ。すぐ分かるよぉ。分からなかったら港で聞くとイイさぁ」と言ってたけど、港から見えるわずか数件ほどの民宿の中からその宿を見つけるのは容易だった。

汽笛を聞いてオバァが玄関前に立っていた。

歳は60代後半、白髪交じりの頭に沖縄独自の巻物?を巻き、やや黒く日に焼けた、いかにも沖縄、しかも粟国のオバァと言う感じ。

「こんにちわぁー、さか坊です。お世話になります」

「ちょっとコーヒーでも飲むよぉ。お上がりさぁ」

その民宿は平屋で、玄関を上がると左手に食堂。

食堂と言っても家庭用テーブルを二つ並べた8畳くらいのスペースで、カウンターの向こうに厨房、壁には息子さんが釣ったと思われる魚拓が数枚飾ってあった。

宿泊客用に6畳間が4つ、奥にオバァの住まい、トイレ、バスは共同だけど建て替えたこともあり清潔感はあった。

「お母さん、前に停まってるスクーターってレンタルできるの?」

「うん、いいさぁ。一日2千円ねー。鍵は付いてるからねー」

すぐに海や島内を見たかったので、コーヒーを一気に流し込みスクーターにまたがる。

スクーターはYAMAHAなんだけど、キーはSUZUKI?

ま、エンジンはかかったので気にしない、気にしない。



まずは当てもなく、飛ばす必要もないので気の向くまま走ることにしました。

それにしても人がいない。

人口900人となってたけど、皆どこに行ったのか、すれ違うのは牛とヤギのみ。。。

細長い形をした粟国島は西側が100mくらいの崖、東側が砂浜といった感じだ。

横から見ると左から右に下るよう。

まずは崖のある展望台の方に。

道端の原っぱには、やはり牛とヤギ。

民家は珊瑚のような石で門と塀を築き、外から中庭が見えるような感じの平屋が多い。

赤茶色の屋根瓦には、もちろんシーサー。

門にもシーサーが座り込み、こちらを威嚇している。

くねくねと、簡単に舗装された幅3m程度の道を登り頂上まで到着。

「すっげーーー!!!」

声に出てしまうほどの景観。

高くせり出した位置からは、ほぼ360度に海が見えます。

こんな海、“青”は見たことない。

柵を乗り越えて身を乗り出してみると、膝の裏がムズムズするような高さ。

「よし。明日はこの崖の下に行ってみよう」

・・・この決意が、後に僕の人生で最大のピンチを迎えることになる。。。



一通り島の中を駆け巡り、宿に戻りました。

戻ると、25歳くらいの女性とそのお母さん。そして那覇からスクラップや廃車を探しに来たという中年の男性と若い兄ちゃんがいました。

みんな今日から泊まるという。

夕飯準備中、オバァが「今日は5人お客さんいるから、夕飯を食べたら店を開けようねぇー」とのこと。

聞くと、民宿から数分離れた場所に小さな店を持っており、島内では数少ない飲み屋のうちの一つだ。

スクラップの社長はMさん、兄ちゃんはK太という。

Mさんは那覇在住、K太は大阪からMさんの所に来たらしく、いくつかスクラップの買取があるらしい。

とにかく二人とも気さくで、特にMさんは迷彩柄のつなぎに身を包み、誰からも親しまれる親分肌のオッちゃんだ。

夕飯が始まりオバァも久しぶりに食堂で食べるということで、6人での食事が始まった。

今朝、息子さんが釣ってきた魚を汁、そして刺身に。あとは揚げ物、お新香と決して贅沢な食事ではないけど、僕が求めていた「小さな宿の食事」のイメージにはピッタリだ。

「八時頃に出ようねぇー」

茶を飲んで車一台に乗り込んで出発。

ほとんど街灯のない砂利道を行くと、小さな店があった。

他には何もないが空には満点の星が広がり、ジジジジジィと夏の虫の声が聞こえる。

陽が落ちてもTシャツで十分。一足先に「夏」を感じた瞬間だった。



【粟国の夜はバイオレンス】

店はテーブル席が3つ、そして4人掛けのカウンターといった店だが、中央が踊れるように広くとってあり、20畳くらいだろうか。

最初は貸切にすると言っていたが、他の民宿の方とその客2名が店に来たいという連絡が入る。

しばらくすると、その民宿のオジィと若いカップル、オジィの親戚の中年の男女が入ってきた。

聞くところによると、三年前に隣の民宿のオジィであるIさんの宿に数日間宿泊したというカップルが、三年ぶりに来たとのこと。

22歳のカップルは東京から来たというが、いわゆる派手さのない、言ってみれば地味なカップルに該当する。

二人とも4月から社会人になるとのことで、学生とは違って休みも取りづらくなるから、今のうちにもう一度だけ粟国のIさんに会いたいと思って来た、とのこと。

泣かせる話じゃねぇかぁ。。

もちろん、
Iさんにしてみれば変わり映えの無い島の生活の中で、社会に出る前に自分に逢いたい!と思ってやって来た二人が可愛くて 可愛くて仕方が無い。

すでに出来上がっており、ニコニコと笑みを絶やさない。

僕に対しても「この二人、東京で働くんさぁ。くれぐれも頼むさぁー」と言って握った手を離さない。(その握力、なんたるものや)

とにかく嬉しくて仕方のない様子だ。見た感じは酔っ払った田中邦衛氏と言ったところ。

僕らにも泡盛を注いでくれ、「飲んでねぃ。嬉しいさぁー、今日はぁ」と終始ご機嫌。

そこに、作業服を着た同じく島のオジィとスーツを着た初老の2名が入ってきて、向こうのカウンターに座った。

作業服のオッサンは、こちらを見るなり、

「○×*○¥−△□*+*+??!#“$!!!!」と何やら沖縄の言葉で叫んでいる。

Iさんの親戚のオジサンが振り返り、「○×*○¥−△□*+*+??!#“$!!!!」と何かを言い返した。

明らかに険悪なムードだ。

しかしIさんの親戚であるオジサンは、客(カップル、僕ら)の前ということもあり、またこちらに向いて笑いながら話を始めた。

Mさんに通訳してもらうと、カウンターに座った作業服の男性は「本島の客を連れて来たのに挨拶も無しか!なんでお前らがソファーに座ってんだ!!」と因縁をつけてきたらしい。

Iさんの親戚のオジサンはそれに対し、「こっちも大事な客が来てんだ。黙って飲んでろ!!!」と、過去の経緯も引きずってかあまり良い関係でないらしい。


宴は進み、こちらのソファー組はカラオケが始まった。

さすがに沖縄の民謡が多く、演歌を歌ったり歌謡曲を歌う人はいない。

オバァがそれに合わせて太鼓を叩き、三線を弾くと言った具合だ。

3曲目くらいに入ると、向こうのカウンターでまたしてもオッサンが叫んでいる。

Mさんに「あのオッサン、今度は何を言ってんの?」と聞くと「ヘタな歌が煩くて話もできねーだと」。

「だったら、こうゆう所に来るなって(笑)」と僕がMさんに言った瞬間、始終ニコニコと笑顔を絶やさなかったIさんが、とうとうキレた。。。



ドガンっ!!!!



あのIさんが泡盛(地元の焼酎)のビンの底をテーブルに叩きつけたのだ。

テーブルの上のグラス類が、5センチ以上も飛び上がるほどの勢い。

Iさんを見ると、完全にキレてる。

さっきの田中邦衛の様な笑顔はなくなり、眼はつり上がり、そしてそいつに向かって歩き出した。

背丈は僕と変わらないくらいだが、さすが島の男は馬力が違う。

僕とK太がなだめるも、そいつを一点に見据えて歩き出す。

止められない。

オッサンも立ち上がり、やりあう気だ。

そこでスクラップのMさんがIさんを押さえ込み、僕とK太、またカップルにも分かるように標準語で怒鳴った。

「オジィ!!やめれ!!!客さ来とるよ?女の子、泣いてるっしょ!!!」と、カップルの女の子は怖さとIさんのキレた姿に動揺して泣き出していた。

それを見るやいなやIさんは引き返して来たが、黙ってないのは、東京のカップルをIさんと三年前と同様に暖かく迎え入れたIさんの親戚のオジサンだった。

「○×*○¥−△□*+*+??!#“$!!!!」と、また始まってしまった。

このオジサンは体格もよく、太目の眉毛に彫りの深い目鼻立ち、口ひげの良く似合う沖縄特有の顔立ちをした方だ。

筋肉の質の良さは半そでから出た腕を見ればよく分かる。

オジサンは、明らかに自分のメンツを潰された(客前で、島の失態をさらして気分を悪くさせた)、しかも大事な客を泣かせてしまったことに怒っているのは発した言葉が分からなくても伝わった。

ここでも何とか沖縄の言葉でMさんが抑える。

殺伐とした雰囲気の中で宴は進むが、Iさんは先ほどの笑顔が戻り実に楽しそうに飲んでいる一方で、僕とK太はこの島人のキレ易い性格を意識して警備モードで飲んでいた。

しかし、カウンターのオッサンの矛先は、客人である僕自身に向かうことになる。



オバァの替わりに氷をカウンターの中に取りに行った。

僕は極めて良心的な笑顔で「こんばんは(笑)」と声をかけ「まぁ、向こう(Iさん)も酔ってることですから(笑)。旦那さんも楽しく飲みましょうよ」と。

するとオッサンは手で(うるせぇ、向こうに行け)とやった。

(しょうがねぇジジィだ)と思いながら氷を席に運ぶ途中、背中越しにオッサンの声が聞こえた。

「ヤマトンチュウ(東京人)が。ヤマトの人間らはぜーんぶ、気骨がねぇ。ひ弱よ、ひ弱。」

僕に分かるように「標準語」で言ったのは、明らかに僕に対しての挑発である。

思わず振り返る。

「おいヤマトンチュウ。お前らソファーこっちに譲れ。ソファーに座る資格、ヤマトンチュウにはねぇ」と標準語で言ってのけた。

僕は聞こえるように鼻で笑ってやり、満面の笑みを見せてやった。とりあえず席に戻る。

こうゆう分けの分からん酔っ払いは相手しないに限る。

が、席に座った瞬間に「あれっ?」っと思い始めた。

引っ掛かる。

これが僕個人、僕一人に対する酔っ払いのたわ言であれば何ら問題ない。好き勝手に言わせておけば良いというのが空手を始めてから培った器量だ。

腹を立てて殴るには全く値しない。

しかし、「お前」ではなく「ヤマトンチュウら(東京人“たち”)」と言われれば話は違う。

僕の知り合い・友人の東京人に気骨がなく、ひ弱な人間なんていない。

存在するかも知れないが、彼らを思い僕が怒りを露わにするほどの深い付き合いはしていない。

こうなると、完全に僕個人の話ではなく「東京人」としてのプライド、メンツが感情を先行し始める。

※誤解のないように言いますが、ヤマトンチュウとは単に「東京の方」または「本土の方」を指す言葉で、一般の島の方はオッサンのように差別的な意味合いで使用することはありません。

(ひ弱なヤマトンチュウ?ソファーに座る資格はない?)と怒りの波が何度も押し寄せてくるなか、今いる粟国島では僕は東京人の代表だ、という旅先には余計な、一種の使命感が頭を過ぎる。

しばらくした後、カウンターのオッサン、立ち上がりよれよれとトイレの方に向かった。

それが視界に入ると、反射的に思わず僕も立ち上がり後に続く。。。

僕は酒が入っているときにこの手のモードになると、銚子(千葉県)の方言が出るらしい。

銚子の方言は初めて聞く人に言わせると、東北地方と関西地方をミックスした方言だとよく言われる。遠い昔、銚子港に関西と東北の船が往来しているからだと言われている。

トイレのドアまでは通路を3mほど。

オッサンに追いつく。

「いぃー、われぇぃ」※1

オッサン、振り向く。

「ニシよぉ、ひ弱なヤマトンチュウとやワシがぁ?東京来らっせーよ。わんらぁ思っどヤマトンチュウどや、おらへんど。いっこきもえっこど言うなや、われ、いぃっ?」※2



※1「おい、てめぇ。」

※2「あんたよぉ、ひ弱なヤマトンチュウってオレか?東京に来てみろよ。お前らが思ってるヤマトンチュウなんて居ねぇーよ。腹立つこと言うんじゃねぇぞ、てめぇコラ」



オッサン、こっちに歩み寄る。

恐らく言葉は分かってないが、さっき言った事に対してヤマトンチュウが文句を付けに来た、という事は理解出来たらしい。

オッサン、瞬間的に僕の胸ぐらを掴もうとするが、そのレベル(素人、しかも酔ってる)の人が手を伸ばすスピードくらい、手の指紋まで見えるほど遅いスローモーションに映る。

当然、軽く手をはたいて触れることは許さないし、許せない。

ここで誤解していただきたくないのだけど、僕は決してケンカを売りに行ったわけではなく、あくまでも「主張」しに行っただけだ。

オッサンが琉球空手の達人であっても、酒を飲んでない素面の人でも、女でも子供でも、そこまで言われたら「主張」には行っただろう。

ただ、オッサンが武道の道を極めた老人ではない、という確信はあった。

また、結果としてケンカになるかどうか分からないけど、ケンカにはしない、という自信もあったし極めて冷静だったと思う。

すると、後ろからK太が飛び込んでくる。

「兄さん、アカンって。やめましょぉ、もう」

「われぇ、いぎれんなや。 (おっさん、興奮すんなよ)」と僕。

「○×*○¥−△□*+*+??!#“$!!!!」とオッサン。

オッサン、完全にキレた。

そして、席にいるIさんに対しても「○×*○¥−△□*+*+??!#“$!!!!」と何やら叫んだ。

この言葉が数秒後、オッサンに悲劇を生む。

Mさんが合流し、「ここはオレが(勘定)出しとくから、早く帰ってくれ」とオッサンを帰そうとした瞬間、僕らの背後から泡盛(地元の焼酎)のビンがオッサンの顔を襲う。



ゴンっ!



Iさんの親戚のオジサンだった。

ビンは割れないものの、オッサンの額は見事に割れた。

大出血。

それがどうした、とでも言いたげに2発目も期待しているかのようにオッサンは立っている。

とりあえず二発目が飛ぶ前にオジサンからビンを取り上げ、僕とK太は本気で引き離すしかなかった。

さすがにIさんも抑えに入るが、向こうのオッサンの方も2発、3発と入れて来ている。

こうなると修羅場そのものだが、オバァは「いつもの事さぁ」とでも言いたげに、そそくさと片付けを始め、同じ民宿Kから来た母娘は危険を察してか歩いて帰ってしまった。

僕はと言えば、必死で二人を離しながらもその場が楽しくて楽しくて仕方が無かった。

やっぱり、男のケンカはこうでないと(笑)。

最近見かけるケンカは必ず仲裁する人がいて、殴ることもしない、誰かに抑えられているという「前提」のもと、延々と大声で叫んで罵倒し、それでギャラリーに注目されれば男の株が上がると考えている。

仮に、そこに警察が来てくれれば逆に現場も華やぐし、警官が居れば相手から殴られることもないし、なおさら口がヒートアップして、“警察の前でも堂々と「ケンカ」するような男”、“危険な男”、を演出して更に周囲のギャラリー、仲間たち、女にまで注目され虚勢を張ることが出来る、と考えている。

警察に抑えられた状態で相手に「ぶっ殺すぞ!」と叫んだりしてるけど、極めて滑稽。

恐らく、警察が「分かった。そんなにケンカしたければ俺が見ててやるから堂々と殴り合え。よし、始め!」とでも言ったとしたら、何も出来ないのが関の山だ。

必ず、「殴りあいのケンカ」にはならない“前提”を確認・用意してから「ケンカ」を始めているように思えて仕方が無い。

さて、Mさんに聞くとビンで殴ったオジサンの逆鱗に触れたのは、僕ともみ合ってる時のI郎さんに対するオッサンの一言だったらしい。

あえてMさんも僕らに詳しくは話そうとはしなかったが、「ありゃ、ビンで殴られても文句は言えない」というくらいのことを言ったらしい。

結局、双方の戦果といえばオッサンの額が切れ、こちらのオジサンも顔にアザ、僕とK太の腕の数箇所の引っかき傷、店のコップが数個割れる程度で治まった。

オッサンはオバァがくれたタオルを巻いただけだが、東京であれば救急車を呼ぶくらいの怪我だったと思う。

この状態のオッサンに「島人は気骨があり、タフだ」というつもりはないけど、ちょっと痛そうだった(笑)

僕とK太はオッサンを外まで見送り、笑顔で「気をつけて。ごめんねっ。運転、気をつけてよ」と送り出した。

軽トラの窓が開き、なんとオッサンがK太に握手を求めて来た。

K太も笑顔で、両手で握り返す

次は、優しい笑みを浮かべ僕の頭を2度3度と撫でて来た。

オッサンから別れの言葉はなく、優しい笑顔だけ残し、3人を乗せた軽トラは静かに闇に消えて行きった。

僕らはテールランプが見えなくなるまで見届けた。

何だ。

何だよ。。。

良いオジサンじゃないか。。。

最初からそうして接してくれれば、もっと僕らは良い思い出が出来たはずじゃないか。

・・・きっと淋しかったのだろう。これを機会に皆と仲良くすれば良いのに。。。

「K太だいじょうぶかよ?ケガしてない?」

「だいじょうぶ。しっかし、こっちの人もアレやねぇ。。。(笑)」

一瞬の静寂の後、闇夜をつんざきK太が絶叫する。



「なっ、なんや、こりゃーーーーーっ!!!!」



「なっ、なに?」

「手、手にツバがっ!!!」

「マジでー!?うそ! オレの頭は? 着いてる?」

「ねっちょりやわ!!汚ったなーーー!!(笑)」




・・・大したジイサンだった。。。


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