ヒット カウンタ

フランスで空手をやっています

園田先生、初めまして。

私は、フランスに在住して5年半になる○○○○というものです。
フランスには、ダンス修業(コンテンポラリー・ダンス)のためにやって参りました。

フランス生活を続けるにつれ、日本の伝統的身体技能を知りたいという気持ちが膨らみ、7ヶ月程前から、空手を始めました。
伝統空手が、沖縄の舞踊とつながりがあることにも興味を覚えましたが、園田先生のホームページに巡り合えたことが、「よし、学んでみよう!」と、背中を押し出してくれるきっかけになりました。本当に、ありがとうございます。

実際に始めてみると、腹から気を吐きながら突きや蹴りを出し、重心の安定を図りながらの足運びなど、ダンスとの共通点が非常に多く、益々興味が深まっていきます。
また、自分が「アジア人女性」ということで、街で冷やかしの声をかけられたり、高圧的な態度に出られたり、痴漢の被害に遭ったこともあったので、ビクビクするようになっていたのですが、空手を始めてから、萎縮したり不安になったりすることが少なくなってきたように思います。

ところで、空手において「型」は、非常に重要なものだと思うのですが、現在稽古に通わせて頂いている道場では(雰囲気はとても良いのですが)、これをあまりきちんとしていないような感じがします。茶帯・黒帯レベルでも、人によって、細かいところの動きが違っていたりします。組み手の際には、特に初級・中級レベルの者は、型を外れて「何でもあり」状態になり、ボクシングのような足捌き・ジャブのような突きを繰り出す者もかなりいて、素人の私でも「それは違うだろ〜」と思ってしまいます。出来るだけ、習っている型を応用・実践しての組み手をしたいと努力はしているのですが、「何でもあり」の相手ですと、私の方もつられて、無茶苦茶になってしまいます。

実際の生活で悪漢にからまれどうしても防衛せざるを得なくなった場合、「空手と違うから」と言っても相手は許してくれない訳ですから、「何でもあり」の同僚と組み手をすることにも意義があるのだろう、と思いつつ、一方では、「”何でもあり”が通るなら、型を基礎としルールのある空手を習う意義はどこにあるのだ??」という疑問も拭うことができません。それで、何だか最近は、稽古に身が入らなくなってしまいました・・・空手はずっと続けていきたいのですが・・・。

もし、心構えなどのご助言を頂けましたら、ありがたく存じます。

○○○○
32歳女性



フランスでの空手修行大変興味深く拝見させていただきました。
空手のすばらしさは日本人のみならず、現在では多くの国の方々にその魅力を理解していただいて盛んに稽古が行われるようになりました。

特に、外国においては、日本という国の文化を知ろうと思っている人々が空手の文化的側面も含めて探求しようとしているケースも多いようです。

しかし、基本的な考え方や生活様式が異なる点も多く、日本では常識的な事が外国ではいちいち説明しなければ理解してもらえない事も多く、そこにいろんな問題が起きてくるのだと思います。

質問者の方の言う「型」は、三戦(サンチン)や転掌(テンショウ)といった演武する形と組手における基本的なスタイルの両方を指していると思います。

古来、約束組手や形は、実際の試合(自由組手)における技のエッセンスだという説明が一般的です。
しかし、この説明は日本人(日本の文化継承の形態を無意識にでも知っている人たち)には何とか理解できても外国の人々にとっては飛躍がありすぎます。

実際の試合で行われる技のやりとりと約束組手や形で行われる動作にはギャップがありすぎるからです。

古来の日本的な教育形態がだんだん薄れてきた現代の日本人にとってもこのギャップは最初は結構ハードルの高いものになっているのが現状です。

形や約束組手は、基本という言葉でひとくくりされる事が多いのですが、基本というよりは様式(スタイル)というふうに捕らえた方が分かり易いと思います。
様式とは礼儀作法のような日常的な習慣から美術や音楽その他芸術と呼ばれる分野までおよそ文化と呼ばれるもの全てを範疇として存在します。

この様式は人間にとって自分のアイデンティティーを確認できる最も大きな要素の一つだと思います。
自分の国、故郷、生まれ育った町や学校そういった環境における様々なレベルの様式の共有が仲間意識を生み、自分が自分である確証(アイデンティティー)も得られるのです。

ですから一定の様式を共有するということは、その集団の最も基本的な団結力にもなるのです。
こうした様式は殆どの場合伝統があり、それを守ろうと思ってきた人々の先駆者たちへの畏敬の思いを共有している事が特徴です。

私は様式は、もし自分がそれを守るべきものだと思ったらその精神(様式が生まれた原点)をまず第一に尊重すべきだと思います。
空手の形や基本はその外形的な物以前になぜそうするのかという「意味」があるはずだからです。

意味がわかれば、その基本の正しい形が少なくとも頭では理解できるようになります。
後は、それを実際に行えるように稽古をすればよいのです。

意味が良くわからないものは、分かるまで何もしないという態度は建設的ではありません。
質問するなり自分で調べて納得できるよう努力する必要があります。
質問される事を好まない先生もいらっしゃいます。(英語のWhyは何か挑戦的な響きがありますよね。フランス語はどうなんでしょう)
また質問しにくかったり、出来ない場合もあまでしょう。
そういう場合は納得するかしないかは保留したままとりあえずやってみるというのが一番良い方法です。

やっていくうちにだんだん分かってくるというものが少なからずあります。
私もどちらかというとやっていくうちに分かってきたものの方が多いような気がします。

同じ形でも道場や個人によって異なるという点も、その元になる精神を理解した上での差異であれば許される範囲です。

元になる精神を理解していない初心者の場合はとんでもない動きになっているケースがありますから、それは早いうちに修正するべきでしょう。
理屈をまだ理解できない子供のような場合は強制が一番効率的です。

幼稚園児に対して「そもそも武道とは・・・・」なんて道を説いても殆ど意味がありません。

これは外国語の修得なんかでも同じ事が言えるのではないでしょうか。
幼い子供には文法なんか教えても無駄です。

ネイティブの言語の覚え方ははじめは丸暗記です。
子供はこれが一番手っ取りはやい。

しかし大人であれば、理屈を知って覚える方が合理的です。
というか、それをしないと物にできないと思います。
よく、外国に行けば外国語は簡単に覚えられるというような事を言う人がいますが、私はそれは違うのではないかと思うのです。

目的を持たずに漫然と外国で過してもその国の言語は殆ど覚えられないのではないでしょうか。
私の知っている外国語の得意な人は皆、努力をしています。

覚えようと努力し、たまたま環境がその国であるという条件が揃ったときは絶大な効果を生むとは思いますが。
たしかに、漫然とその国で生活していれば、最低限の日常会話くらいはできるようになるかもしれませんが、自分の考えを表明したり、ビジネスを行ったり、ニュース番組を正確に聞き取ったりすることは出来るようになるとは思えません。

私は外国に行ったことがありませんので実感はできないのですが努力無しで外国に住むだけでは絶対ネイティブの人が理解できるレベルには到達できないという確信があります。
貴方はフランスに5年間もいらしてダンスという明確な目的をお持ちです。

多分フランス語に関してはかなり努力をされたのではありませんか?
住んでいるから自然に喋れるようになったという事では決してありませんよね。

空手に関しても同じです。
空手は多くの人が大人になってから始めます。
生まれてすぐ始めるなんて人はいません。

言ってみれば殆どの人はネイティブではないのです。
ですから覚えるためには文法に当たる形(基本)の意味を知る必要があります。

日本に居れば、空手、武道の元になる日本的な風土を肌で感じながら勉強できますし、多くの先生や上級者もいます。
ですから努力する人にとっては最高の環境なのです。

しかし外国で空手を教わるというのは例え先生が日本人であっても、回りの生徒さんや環境が武道を生んだ日本とは全く異なります。
ですから、自由組手になるとシャモの喧嘩のような感じになるのもよく分かります。

これを嫌って自由組手は行わないような道場もあると聞きます。

しかし私は相手がたとえシャモの喧嘩のような組手を行っても、ボクシングスタイルでこようとも、こちらは空手の基本に忠実に対応すべきだと思います。

空手の動作で相手がどんなスタイルでこようとも対処できてこそ本物の武道だと思うからです。

空手はスポーツではありません。

空手を技術の面だけを捉えると「人を殺すための最も合理的な技術」の集大成なのです。
空手の技術を一言で要約すると、人間の最も弱い所(急所)を鍛えに鍛えた全身を使って破壊するためのテクニック、ということになります。

相手の振る舞いは関係ないのです。
相手はこちらの様式に従う必要もありませんし、そういう仮定をすることも無意味なのです。
どんな相手でも倒せるというのが空手の技術の目的なのですから。

むしろ稽古の相手としては、いろんなタイプと対戦できる方がありがたいのです。
私は腕力のある素人の人と稽古するのが大好きです。

戦いの原点を思い出させる良い刺激になるからです。
もちろん高度な技術を持つ上級者との稽古はより大切ですが、護身術という観点からは、行儀の悪い体力のある素人というのは暴徒からの護身という意味では良いシミュレーションになるからです。

相手の振る舞いで自分を変化させる必要はありません。
相手がトラであってもキツネであってもライオンはライオンの戦い方をするでしょう。

相手がむちゃくちゃであっても貴方はそれに合わせる必要はまったくないのです。
様式としての空手のスタイルをしっかりと守って、それでいて最強の自分を創れるようにがんばってください。

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