ヒット カウンタ

神前の礼に抵抗を感じます


今月の初めに、現代空手道研究会のサイトを見つけました。
その中で、技術のコラムに載っている「強くなるには」に興味・関心を持ち、只今、週三回の腕立て70回、懸垂20回を、三ヶ月後の自分を思い描き、続けております。
(今は、空手とは違うスポーツに目標を定めていますが、そのスポーツに、自身限界まで挑戦してみたく、まずはひ弱な体の克服をすることが大切だと思い、実践しています)
また、ほかのコラムもとても興味があり、読まさせていただいています。
今は、大学三年であり、来年に公務員就職を勝ち取るため、今まで、興味のなかった課題に追われ、取り組んでいます。
また、来年を思い描き、就職が片付いたら、現代空手道研究会を直接、見学してみたいと思っています。

しかし、一つのコラムが気にかかり、メールを出させていただきました。
それは、外国の方から教わった日本武道の礼儀の再認識を紹介している「神前に礼」のコラムです。
私は、哲学を自身の生涯に抱くため、また、生涯どんなに苦しい状況に陥ろうとも、周りの友人を思いやれる境涯になるためにも、生涯切り離すことのない宗教を保っています。
やはり、宗教者(在家です)として、祖先を敬う心は大切であり、同意もできます。(理念も同意します)
しかし、やはり神棚をまえにして、自身の目標などを願うことには抵抗を感じます。
もしよろしければ、意見をお聞かせください。

宗教は歴史を紐解いても、現在の国際社会を見ても、様々な未解決の問題が山積しています。
宗教問題を背景にした悲惨な事件も後を絶ちません。

宗教の問題は、人間にとって根源的な課題の一つであり、私ごときがここで断定的な結論を出せる問題ではないと思っています。

しかし、空手は勿論のこと、多くの武道はその背景に何がしかの宗教色があり、私も組織として一つの空手団体の責任者である以上この問題に目を瞑っているわけにも行きません。
スポーツ性を強調する団体はあえてこの問題を避ける傾向にありますが、私はこうした問題はその取り組み方を誰にも分かるように明示しておくべきだと考えております。

私自身は宗教に関してはオープンな考えで、特定の宗教以外は排斥するといった過激な考えは全くありません。
もちろん自分の宗教は先祖代々のものがあり、それは子孫の続く限り守る意思は強く持っていますが、それを他人に強要するといった考えは毛頭ありません。

現空研における宗教の問題は、「神前に礼」のコラムに集約できると思います。
「神前に礼」で述べていることが現空研における宗教への取り組み方のエッセンスです。

たしかに、外国人や宗教によっては、抵抗を感ずる方がおられることも知っています。
しかし、現空研では先のコラムで表明したように神前の礼は全員行っていただくことにしています。

私は幼い頃、近所のやはり小さな子供達が剣道の早朝稽古で神社の境内で皆で「シンゼーン」と言って座礼している姿がとても清清しい風景として今でも生々しく記憶に残っています。

剣道だけではなく、日本の伝統ある武道は殆どの道場で神前の礼を行っていると思います。
日本では伝統的な武道だけでなく、ボクシング等のジムでもその多くに神棚があります。

神棚への敬意の表明は、多くの日本人にとっては新年の挨拶と同じくらいごくごく自然な振る舞いになっています。
こうした神棚は武道の稽古あるいは試合においても有形無形の形で日本の武道精神の象徴として存在しているというのが私の解釈です。

こうした伝統的なしきたりに関する解釈やその実行、挨拶の作法は、ご存知のように現空研では明示してあります。
それを納得の上で会員になっていただくというのが現空研のやり方です。

宗教の問題は、私レベルの人間が議論して結論を出せるような問題ではないと思っておりますので、このことで意見を戦わしたり議論を深めても、実のある結果を出すには至らない思います。

また、それは私の役目とも思っておりません。

世の中にはいろんな思想や宗教があります。
自分と異なる思想や宗教の持ち主でも、人間的な魅力のある方や尊敬できる多くの方がいらっしゃいます。

自分に誇りを持つと同時に違う考えを互いに認め合うことは、世界の様々な考えを持つ方々と平和を築き上げる上で最も基本的な考え方だと思います。

また異なる考えや宗教、伝統を互いに認め、相手の世界を尊重するには少なくとも、相手から何かを学ぶ目的でそこの集団に属する限りはそこの規則に従うというのが最低限のマナーでもあるというのが私の考え方です。

話題が前後しましたが、週3回の腕立て70回、懸垂20回を実行されているよし、良い結果がでることは私が保証します。
ぜひ、このままトレーニング続け、公務員試験にも合格されることを願っております。



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