カナダ在住の日本人の方からの質問

 2011/04/04


はじめまして○○と申します。いつも、折に触れてホームページ(随想、等)を見させていただき勉強させていただいております。最近はあまり聞かなくなった一本筋の通った武士道というような清々しいものを感じております。ありがとうございます。

ところで私は現在カナダ在住の33歳、男ですが、最近人生を見直すきっかけに恵まれ、何か生涯できる武道をまた始めたいと思っているところです。
経験は剣道を子供の時から10年ほど、極真空手を日本で半年、カナダで半年やりました。

今やりたい第一候補は、やはり空手です。
ここからが今回ご迷惑を承知でメールさし上げた理由なのですが、洞察力をお借りできればと思っております。

まず、空手をやめてしまったこと。続かなかったことがコンプレックスになっています。格闘技一般、筋が良いといわれる方なので、問題は体捌きでなく、理由はいろいろあったにせよ、継続力がなかった事、また、なにより「打たれ弱い」という、例えばバーっと正面から突きで攻めてこられると固くなって下がってしまう「恐怖感」があったと反省しております。つまり「怖いものから逃げた」という印象が強く残っており、それが人生一般における自分の限界を無意識につくってしまっているのではないかと思っています。

これは空手を続けることで乗り越えていけるということでしょうか。

また、最近道場探しにネットを見ていたところ、空手は弱い、総合、実戦に使えない、だのといった論調が驚くほどに目立ちます。昔はそんなことなかったと思うのでびっくりしています。これは素人の井戸端会議レベルのはなしなのか、はたまた万が一時代が変わって、果たして柔術などの方が進化した形で、今からならそちらを習ったほうがいいのか。たしかにフルコン空手は上段突きが無しなので、という議論はいつでもありますよね。

それとも長くやっていくうちにしか見えてこない物、ということもありますでしょうか。

自分の目標としては今から5年で黒帯、を目標にしております。「空手をやりなさい」といって頂きたい気持ちはとてもあります。
しかしどこかまだ吹っ切れない部分がありましたのでそこを打破できればと思っております。

お考えを聞かせていただけると本当に助かります。
いつも筋の通った、しかし粗暴でなく合理的な理論展開に影響を受けております。

お忙しい中恐縮ですが、よろしくお願いいたします。
○○ ○○

 


ご質問には二つのテーマが含まれていますね。

一つは外国に長く住まわれていて、武士道に代表される日本人の筋の通った生き方といったものを再確認され、それをご自身で体現したいという事。
しかし、強い再チャレンジの気持ちを持つ一方かつて剣道を10年おやりになり、そしてフルコンタクト空手を始めたが継続しなかった事に対する残念な気持ちと反省点も含めた不安感や迷い。

もう一つは、空手そのものが、総合格闘技などの台頭で、かつての最強のイメージから遠のいているのではといった疑問。

まず最初のテーマからお話したいと思います。

武士道の素晴らしさは私はもちろんですが多くの日本人の生き方のお手本であり、そしてその本質は日本人だけでなく全人類の規範としても通用する奥の深いものだと思っています。

問題は個人として武士道の一つの体現方法として捉えることもできる空手の修練、その継続力を実際問題としてどう維持できるかだと思います。
これは二つ目のテーマとも関連があります。

私は、空手に限らず何かを習得するには地道な訓練(稽古、学習)をある一定期間行わなければならないと思っています。
この一定期間の具体的な長さは、習得する事象や目標とするレベルによって異なってきます。

空手に関しては、「空手をやっています」、と言えるようになるちはどんなに合理的な稽古を積んでも最低2年は必要だと思っています。
でもこれはギリギリの線で自分でも納得できるように成るにはおそらく10年以上続けてからではないでしょうか。

10年以上継続すれば世の中の常識的な事であれば大抵の事は達成できます。
しかし、この継続するということは殆どの人にとって不得手なのです。

私はこの継続するための秘訣を知っています。
絶対的な魔法の力を持っている秘訣をです。

その秘訣とは「好きになる」ということです。
なんだ、そんな事かとチラっとでも思った方、あなたは誤解しているかもしれません。

物事の結果や成果を対象に好きになってもはじまりません。これは好きに決まってますから。
空手で華麗な技を駆使して大会で優勝している自分を想像すれば、この状況は誰でも「好き」に決まっているのです。

空手だけではありません。ピアノやバレー、英会話や各種資格など、それの完成形を想像して好き、嫌いを判断するのではないのです。

その途中の訓練の過程を好きになる事、これが重要なのです。
空手であれば、体を鍛える事や殴りあう、蹴りあう事(組手)が好きになれば良いのです。

喧嘩して怖い相手は喧嘩が強い奴ではありません。喧嘩の好きな奴です。
喧嘩をすることが死んでもかまわない程好きというやつがいたらこんな奴とは誰も喧嘩したくないでしょう。

「好き」は「最強」に最も近いのです。

もちろん、こうした訓練を嫌いなまま強くなる人もいます。
歯を食いしばりながら猛訓練に耐え続ける人です。

わりとこういうタイプの人は好まれる傾向にあります。特に日本では。
地獄の特訓をくぐり抜けてきた戦士というわけです。

こうした克己の精神力で強くなる人も当然いますが、最強に成るのはこうした克己心の人ではなく、訓練も含めてその事自体が大好き人の方が確率が高いと思います。

逆に言えば空手が好きになれば嫌でも継続できますし、強く成れるのです。
物事を成し遂げるために最も効率の良い努力は、その事が好きになるための努力です。

ここで二つ目のテーマで「ある空手は最強であるか」との絡みが出てくるのです。
最強を目指してがんばろうと思っているときに空手そのものが「弱い格闘技」であれば、意欲は激減しますね。

このテーマに限っては私は少なくとも貴方よりは熟知していますがは説明したくはありません。
なぜですかという質問に答えるのが面倒なのです。

たくさんの格闘技の中で空手を選ぶ理由、もっと砕いて言えば空手は格闘技の中で最良の選択ですか、とういこ質問です。

結論だけ言いましょう。
空手は生涯それにかける価値のある武道です。

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