ヒット カウンタ

十人組手を終えて、そして雑感

Oyama初段は日大空手部OBです。
現在は某警備会社の役員です。
いわゆる伝統的な体育会系の数少ない正統的継承者です。
入会以来数々の武勇伝、伝説を築きつつあります。
彼の飲み方は半端ではありません。
我孫子道場に来た時はまず終電に間に合う事はありません。
泊まるホテルと長期契約しているというウワサがあるくらい腹のすわった飲みっぷりです。
彼は入会するとき経験欄に初心者と書く詐称をしていました。
昔酒のにおいをプンプンさせながら初心者のふりをして入会した某酔っ払いとそっくりです。
こんな化けの皮すぐはがれます。
Oyama初段は小学生の息子さんがいて地元の伝統系の空手道場に通っていますが、夏休みなど長期の休暇がとれるときは現空研の稽古に親子で参加しています。合宿にも参加しました。
息子さんも勇気があって強いです。
この感想文は7月に頂いていたのですが、私のミスでご紹介が遅れ、12月の現在になってご紹介させていただく事になりました。
申し訳ありませんでした。
この文章自体の内容は、控えめで低姿勢ですが、彼の実態とはかけ離れている事は仲間が皆知っています。
ただ、こうしたシャイな表現の中にも武道に対する心構えや生きる姿勢など本質をついた考えが垣間見えるところが彼らしいところです。
ぜひご一読ください。

平成18年7月31日
Oyama初段
警備会社取締役
横浜市在住

押忍。Oyamaです。
昨日(平成十八年七月三十日です。暫らく練習に参加しなかったので)、會長より免状と黒帯を拝受して久しぶりに巻いた、黒帯はとても嬉しかった反面、自分に巻く資格があるのかどうかと思いました。
十人組手を終えてと云うよりも、現空研に付いての雑感を述べさせて戴きます。

「現空研入会の経緯」
初めて「現空研」HPに辿り着いたのは、「日大応援団」での検索でした。其の時の感想は、空手に「現代」とか「研究」そして「実戦」までついて、ナント怪しい団体だ ! 空手に興味の無い自分は、余りHPの中を観ないで通り過ぎました。
それから時がたち、当時幼稚園児の長男を空手(伝統系)を習わせ付き添いがてら少し空手の真似事をしていた自分に、昇段審査を目標に本格的に練習しませんか?との先生からの誘いがありました。空手が好きではないので内心「ヤダなーー」と思いましたが、審査の内容を知る為「昇段審査」で検索して再度辿り着きました。其処には面白いことが沢山書いてありました。そして練習を終わればいつも呑んでる様なのです。「空手の練習はヤダけれど、呑み会があるならイイカモ」と興味がわきました。

此処で註釈を入れます。會長やアビさんの紹介で日大空手部の出身と記載されていますが、日大には多くの空手部があり、だまされて入部した自分の所属していた部はシツケやシゴキと呑みが主で、練習は従で、ワタシハ「空手はヤメタイ。ヤメレタラ一生空手ナンカヤルモノカ!」とか「空手ヲヤッテイル奴ハ、一握リノマトモナ奴以外ハトンデモナイ奴ラダ」と思ってイヤイヤ続けためチットモ巧くも強くもなりませんでした。先輩や後輩の名誉の為云いますが、自分以外は多少の例外はいましたが皆結構強かったです。

HPに見学及び体験入会可と記載されていたので、平成十六年二月十日に世田谷道場なら勤務先と自宅の途中に在るので交通費も掛からないから(チョツとセコイ)見学だけをすることにしました。道衣はもちろんトレーニングウェアも持たずに行きました。(もしヤバイ処だったらすぐ帰ろうと思った為)。初めて御会いした會長はとても優しそうでした。會長に準備運動だけでも一緒にどうぞと云われ、スーツを脱いでイヤイヤ参加しました。基本をShiba弐段(当時初段)に教えてもらい、なんとか練習を終えました。会員の皆は強そうなのに緑帯の人(Hosoさん、Matsubaさん等)が多く、好青年で強そうなShibaさんさえも初段、これはチョツとマズイ処に来てしまったと思っていました。続ける自信がないけれど一応、基本部で入会届を出しました。
練習はツライけど呑み会にいつ誘われるかと思いながら二月は2回練習に参加しました。三月は世田谷では練習が無いので、一度はなしのたねにと我孫子に審査を見学に行きました。(ヤハリ怖いから道衣は持参しませんでした。)そして我孫子の二回目の練習後にAsaumi初段に待望の二部に誘われました。当然、家に帰ることが出来ませんでした。(実は、二部に参加したくて入会したのに、呑み会に誘われなかったのでやめようかと思っていたところでした。)そうして、呑み会に出る為に我孫子の二部をメインとして、なんとか練習を続ける事が出来ました。

「またしても、やめようと思った。」
呑み会が効を奏して入会して一年でなんとか二級を戴きましたが、四月末に膝を痛めました。診断は前十字靭帯の断裂でした。ドクターは再建手術すれば入院3〜4週間、リハビリも半年以上掛かり、しなくても治りはしないが普通の生活なら特に支障が無い。つまり年が年だから空手をやめなさいと云われました。元々練習は嫌いだし、手術してまで、空手を続けたいとはとても思いませんでした。しかし、数日後の現空研のメンバーが散打大会で一所懸命に戦う姿を観て、手術ははしないけど、もう少し続けてみようかなと思い會長に練習の継続願をメールしました。會長から会員の中には膝、その他を痛めても続けている人達も居るとの励ましと継続許可のメールを戴きました。

「そして昇段審査まで」
練習不足だが何とか夏合宿で一級を戴いた。しかし合宿直後に、なんと飯塚師範からの楽しい御誘いも断る程、体調を崩してしまった。(現在は殆ど大丈夫です)9.10.11月には練習に参加出来ず、体調がよくなってきたので12月からは練習に参加しようと思った矢先に父が危篤になりそして亡くなったので12月1回、1月に3回しか練習に参加することが出来なかった。出席不足で審査を受ける資格があるか不安だったが會長に許可を貰いました。審査日の前日、少しでもカンを取り戻したく世田谷道場へ行った。YaeさんとKojiさんの審査だった。御二方も自分よりパワー・スタミナ・テックニックが有るのに完遂されたけれど、かなりシンドそうだった。翌日の自分のことを考えると観に行かなければ良かったと後悔した。オマケに寒い中、道衣で見学をしていたので風邪をひいてしまった。

「そして審査」
スタミナ・パーワー不足でアイテム(技)が無いので当然「ザ・ガマン」の作戦しかないのでアドレナリンと学生時代に受けたヤキで培った、捻じ曲がった根性で痛みを軽減し、スタミナを温存するつもりだった。
一人目はMiya君だった。彼は突いては、引くという自分と似たタイプだった。なんか遣りにくい。スタミナ温存で行うつもりだったが、思わず自分のスイッチが入り、「ダメ元開き直り、倒れたら起てばいいんだ作戦」に変更になってしまった。その後の対戦相手のことは余り覚えていない。(半年近く前と、途中でスイッチが入った為) Nito兄の「リラックス!」「力を抜いて!」の声に我に帰る以外は、逃げながらもなるべく攻めた(つもり)。これがかえって良かったみたいでサンドバッグ状態にならずなんとか最後まで立っていることが出来た。

「審査を終えて」
審査中、またしても「弱いこころ」が出てしまつたことを反省します。途中Hishi君の顔面突きを受けた際(少し当たった)に、直ぐに立ち上がらず効いたフリをして、休憩してしまったこと。Shiba弐段のから何本もの綺麗な顔面突き(寸止)を、會長がワザ有りを取ってくれれば少しでも休めると思ってしまったこと。そして何よりも、現空研特有のパワーとパワー溢れるガチンコのド突き合いを避けてしまったことです。冒頭に記した様に、現空研の黒帯としては恥ずかしい限りです。(そして技も無く、形三戦も覚えていませんでした。)
空手の経験があるという貯金は初めての審査で使い果たし、故障という借金が増えてでの受審でした。逃げてからのカウンターが多い弱者の空手ではありましたが、実力と練習量からすれば、甘いけれど65点位の出来だった様な気がして満足しています。
此れからは、真の現空研黒帯に近づく様に少しづつでも努力したいと思います。

「これから受審される仲間達へ」
どうしも、アレコレと事前に想像してしまいますが、最後には「開き直り」が一番の様な気がします。自分を含め達成された皆さんも、作戦どおり出来た人はごく一部だと思います。(これじゃ、参考にならないねぇ~ ! ) 審査後の呑み会は最高です(モチベーションは此れに尽きます)。美酒を呑む為、頑張って下さい。
それと自分に空手に関しては質問しないで下さい。空手はニガ手ですから。
HP観ました。Horiさん、Shioさん。故障したと由、早期快復を祈念します。

「体力に自信がなくて、空手を始めるのを躊躇されている方へ」
キャラクターのせいで勘違いされていますが、自分は実は子供の頃、喘息(現在も)で体育をよく見学する体育がニガテな子でした。入院しながら学校へ通うこともあるほどでした。運動神経も人並み以下です。今も自信有りません。でも、空手はアスリートを目指すなら別ですが、それぞれの体力・運動神経に応じて学べる武道です。普通の日常生活を営んでいる方なら誰でも出来ます。少しの勇気と、入会届(当然入会金も)を出せば始める事が出来ます。こんな、体力・運動神経が無くて、とても気の弱い自分が黒帯(一応)になれたのですから。


最後に此の様な得がたい機会を与えて戴いた會長、そして相手を務めてくれた&声援を送ってくれた仲間達に衷心より御礼申し上げます。
乱文にて失礼します。

押忍。

Oyama


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