ヒット カウンタ

現空研は何を追及するか


現空研は一般の社会人や学生が限られた時間内で武道としての空手道を追求していくことを目的とした団体である。
空手道は護身のための武道だから、当然相手を殺傷する技術を修練することになる。

さすれば、そういった技術を持つ人の人格というものを考慮しないわけにはいかない。
社会や回りの人々に対して建設的な思想や行動をする人が武道の心得がある場合はそれは個人にとっても社会にとっても大変有意義なことだ。

しかし、社会に対して破壊的な思想や行動をする人が人を殺傷する技術だけを獲得したとするとそれは社会全体にとって大変不幸なことと言わざるを得ない。
それゆえに、武道を教えたり、伝承する人たちはそれを誰に伝えるのかといったことを無視してはいけない。

つまり、人格というものを無視して武道を伝えることは大変危険なことなのだ。
これが、音楽や他の一般のスポーツであれば、相手の人格がどうであっても武道ほど社会に直接的に悪影響を与える心配はない。

テロリスト集団が全員ピアノの名手であったとしても、全員が空手の有段者であるほどの問題はない。
テロリストというのは極論だが、最近の新聞やテレビのニュースを見聞するにつけ、社会の正義はおろか最低限のルールでさえ無視する輩が増えてきているのを感ずるのは私だけではあるまい。

情けないのは、警官や教師といったこれらのルールを守ったり教えたりするべき立場の人たちの破廉恥な事件が多いのには驚かされる。
中でも私が一番情けないと思うのは、婦女暴行や淫行といった破廉恥行為事件の数々だ。
ストーカー事件などといったものもそうだ。

男の立場でいえば、男が女に興味をもつのは当たり前のことであり、いつも木石のごとく振舞えなどというつもりはないが、立派な社会的な立場をもった大人の男がこういう破廉恥事件をつぎから次へと起こす実態は本当に情けない。

男が女にアプローチするとき、立場やポジションを利用して、無理強いするいわゆるセクハラや未成年者や学生などの社会的に大人として認められてない者を対象にしたり、盗撮、盗聴、いたずら電話など自分を匿名にした行為、こういう行為に及ぶものは男のくずである。

私は現空研の道場生には次のように話してある。

空手とはつまるところは人を殺傷する技術である。
しかし、その行使においてはあらゆる手段が閉ざされ、自分あるいは理不尽な暴力にさらされている者たちを守るためにそれしか方法が無い場合においてのみ正当化されるものである。

もし、実力行使に及ばざるをえない場面にでくわしたなら、その実力行使が誰にでも公表できる、つまり白日の下にさらしても恥じることのない理由があるかどうかを自問せよ、と言っている。

人間として、恥じない行為だと自信を持ってどんな場においても堂々と説明ができるものであれば行使せよ。
これが結果として法に触れることになったとしても、これは破廉恥罪でとがめを受けることとはまるで次元の違う話だ。

「男らしく」、という言葉が死語になりつつある。
対語である「女らしさ」という言葉も同じ運命であるが、今回は男について論じてみる。

男の行動原理は「男らしさ」というのは古今東西を問わない真理というか男の目標である。
「らしく」振舞うということが、社会を社会として成り立たせる根源である。

男でも女でも人間というものは、いろんな意味で本来は弱い生き物である。
怠惰であるし、ずるいし、意志薄弱である。

しかし、強く、正しくありたいという気持ちは皆持っている。
その気持ちを実現しようとするとき、最も直接的な目標が「らしく」振舞うということだ。

男の子であれば、最初に教えるべきことは「男らしく」あれということだ。
そして、その行動原理は大人にもあてはまる。

「らしく」の基準が少々複雑になるだけだ。
「我ことにおいて後悔せず」という言葉は宮本武蔵の座右の銘だったというが、これは我々凡人にとっては大変難しい。

私は後悔はしかたがないと思う。
後悔は反省につながる。

そして、次は同じ失敗をしない、という意思につながる。
男が最も後悔すべき失態は「男らしく」なかったことだ。

自分の行動に疑問が生じたら自問するがよい。
「男らしく」振舞ったかどうかを。

ここで敢えて言う必要はないと思うが、「男らしい」ということは弱い者を相手に空威張りすることではないぞ。
女、子供を相手に暴力を振るうことではないぞ。

場合によっては暴力に対して無抵抗に振舞うことが「男らしい」ケースだってありうる。
「男らしい」とは、大局的な見地から総合的に最も良いと判断した行動を勇気をもって自分の良心と社会規範にのっとった行動をとる様を言う。

男の社会で、正しい行動を社会規範にのっとってとろうとしても、それを理不尽な手段で妨害されることがある。
それは、町中の小さな暴力であったり、些細な欲望を餌にした誘惑であったり、あるいは組織的な大掛かりな妨害のケースもある。

こういった妨害に対して自分を律し、指針にする規範が「男らしさ」である。
男は幼い時から「男らしく」あったかどうかを常に自問し続けることによって、真の男になっていくのであり、人格を完成していく。

長い人生のなかでは、男らしくなかった行動や態度の記憶を誰でも持っている。
それから逃げることなく正面から見つめ、今度は男らしく振舞おうと決心し、努力する姿を「男らしい」というのである。

その「男らしさ」を実現し、より強い自分を作るための手段の一つとして武道があり、空手道がある。
武道としての空手道の真髄はここにある。

現空研は武道としての空手道を追求する。

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