ヒット カウンタ

謝辞に代えて〜意味と価値と選択する主体性2


Orikasa君は、今回ルールの全く異なる他流派の大会に出場し、自分より体の大きな相手に圧倒的な大差をつけて勝利しました。

私は彼の出場条件として絶対優勝を突きつけました。
彼は人間的にはとても良い所を多く持っているのですが、生活や人生観においてどうもフワフワした所が見られ、これが気になっていたからです。

男が一旦目標を決めたらそれがどんなに困難であっても全力でこれに立ち向かう、そういった姿勢を彼に持ってもらいたかった。

そのため、私は「もしお前が不甲斐ない負け方をしたら私がお前を殺す」と言い渡しました。
もちろんこれは言葉のあやです。本当に殺す訳はありませんが、物事に命がけで取り組むという姿勢を分かってほしかったからです。

彼は空手のレベルで言えば技術的にも精神的にもまだまだ多くの課題を持っています。
しかし、一旦目標を定めれば、実力以上の力を発揮する集中力が彼にはあるのです。

問題はこの集中力とモチベーションを長期間持続できるかという事が彼にとっての最大の課題だと私は思いました。
空手だけに限りませんが多くの若い有能な人たちが志半ばであきらめたり、失敗したりする状況をこれまでも多く見てきました。

失敗の原因が根本的な能力の欠如というケースは稀です。
殆どの場合は気力の喪失、モチベーションの低下、そして努力が継続できなかった、というパターンです。
物事の成功は、多少の能力の多寡ではなく必死の努力を継続させる事ができたかどうかで殆どの場合決まります。

私が今回彼にしてあげた事は努力をするためのモチベーションの維持でした。
そのために多少の恐怖感も与えました。
しかしこれが愛のムチなのです。


2007年1月15日
ORIGASA初段
世田谷道場
東京都在住



現代空手道研究会初段不肖の弟子Orikasa、この度皆様の暖かい御協力と、そして何より我が師園田先生の素晴らしい且つ殺気を帯びた御指導のおかげで、第○○回○○空手○○大会に於いて、勝利を飾ることが出来ました。

一念発起し園田先生の元に出場の意を伝えてから約3ヶ月間、「負けたら殺害」宣言により、海で溺れたあの高2の夏以来の死の恐怖に直面した私は、焦燥、自棄、逃避、高揚、歓喜、恍惚、ありとあらゆる感情が平常時のそれとは異質な、当社比にして約2.5倍程に感じられておりました。

私としましては、十人組手の感想で記させて頂きました駄文に於いての『意味』を突き刺さる程に感じることが出来たという事を申し上げさせて頂きたいのであります。

出場者数の関係で、途中で今回に於いての目標が「優勝」から「勝利」になってしまいましたが、皆様のおかげで、今回こんな私でも目標を達成することが出来ました。

それを『価値』とするならば、以前の駄文で提唱させていただいた「達成」は「勝利」であり、それに相対する「敗北」の場合、『意味』は、私の人生の終焉と共に「失われてしまうもの」なのでしょうか。

私の様な矮小な人間でも、それでも「求める」事は止めれず、限られたパイを得たいという欲求に突き動かされてしまうのです。
だからこそ、その『価値』とは離れた、本当の意味での『意味』の意味を、私は肯定していきたい。
あらゆる要素を踏まえて、どこかで自分を投げ出すような、「選択する私」に私はなりたい、なっていきたいと思うのであります。

最後に、お世話になりました世田谷、目黒、我孫子各道場の皆様。
貴重な稽古の時間を私の訓練の為に割いて頂き毎回ボコボコにしてくれて、本当に有難う御座いました。

そして、御指導、御鞭撻と的確な御指示、普段の柔和な笑顔と視覚化出来る程の殺気とのギャップで本当の意味での恐怖を教えて頂いた園田先生に、言葉もない程感謝しております。

本当に、有難う御座います。

正に駄文では御座いますが、謝辞とさせて頂きます。


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