ヒット カウンタ

意味と価値と選択する主体性〜十人組手感想


Origasa君は、一風変わった男です。
彼とは何度も酒を飲んで語り合いましたが、今だに良く分からないことがあります。

分からないことがあるというより、分かるところのほうが少ないと言った方が正確かもしれません。
まず、真面目なのか不真面目なのかが分からない。

利口なのか馬鹿なのかも分からない。
酒を飲ますと良く分からない理屈で絡んできます。

夜中にワケの分からないメールを送って来ることもあります。
世界で一番長い前置きの年賀状を私にくれたのも彼です。

しかし、空手の稽古は熱心で世田谷、目黒道場は勿論の事、我孫子にも時々遠征に来ていました。
軽量ではありますが、異様に軟らかい関節と鋭い反射神経、そして突き刺すような独特の前蹴りを武器として着実に実力を上げていました。

それなのに、ある日彼は突然会社を辞めてタイに武者修行に行きます。


なぜ、行くのか、何度も尋ねましたが最後まで理由は良くわかりませんでした。
しかし、彼は数ヶ月後突然帰国します。

帰国して最初に道場で見たときは随分痩せたように感じましたが、目はギラギラしており、敢闘精神はむしろ増強しているようでした。
そして昇段審査に向かって精力的な稽古を積み重ねていきました。

そしてこの夏、苦しみながらも難関の10人組手を完遂したのです。
彼の生き方は、正直私の理解の範疇を超えているものがあります。

しかし憎めない男なのです。
理屈は面倒くさいし、ちょっとうるさいのですが宴会の席にはどうしても居てほしい男です。

ただ、彼が真面目に生きようとしているのは、日本に帰って一生懸命就職活動をし、大手出版社に再就職した事からもそれはうかがえます。

それでもあの武者修行が何だったのかは謎だし、
この文章も意味が良く分からないのだが・・・・・・・・・・・・・・・


2005年11月7日
ORIGASA初段
世田谷道場
東京都在住
出版社勤務



当然のように、今回も酒が入ったため書き連ね始める次第であります。

皆さん御存知の様に、私自身誉められた人間では御座いません。
ですが、そんな私でも人並みに悩み、道に迷いもいたします。その私のつまらぬ苦悩やどうでもいい考え
を、今回こういった機会を得て、ここぞとばかりに書かせていただきます。

ご存知の方も多いかと存じますが、私先日武者修行と称して東南アジア近辺を放浪しておりました。
後に、色々な憶測や噂話により事実とかけ離れた、まるで第三者が耳にしたら立派に聞こえるような流言飛語も御座いました様ですので、はっきりと事実を申し上げておきます。
ひたすら遊んでおりました。

さて、その旅の最中、ふと思いついたことが御座いました。
「じゃあ、『意味』と『価値』の違いってなんだべ?」
語尾に訛りがあるのは、私が東北の生まれだからです。
全ての時間が完全に自由という状態になると斯くもくだらない問いが生じ、
全ての時間をその問いに充てることを可能といたします。

それから一ヵ月後、特に考えていたわけではなかったのですが、
突然(何がしかのそれに至る理由は有った気がする)その回答が浮かびました。
浮かんだものは映像によるイメージでしたので、文字にすると分かりづらいかもしれませんが、
『価値』は目的、結果、未来、客観
『意味』は手段、原因、現在、主観
つまり、「意味により価値に向かう、価値に向かうことが意味」
というようなイメージでした。
一月も開いて、更に突然の事でしたので、私自身はまるで「時来たれり」というような、
俗に云うハイな気分になりましたが、
今は正常ですのでご安心を。ベースが異常であるという意見は受け付けておりません。

そして遂に十人組手の時間がやってまいりました。
今までの話はこれに至る布石だったのです。なんとしたことか。
時間にしておよそ25分弱。
私は、「十人組手達成」および「黒帯」という『価値』を目指し、
「十人組手」という『意味』を行いました。
その時の、『意味』の濃度たるや、…快感で御座いました。

ここで問題にしたいことは、その快感は『価値』の取得、
つまり「達成」に準じていたものなのか、ということです。
…恐らくは、「達成」を得なければ、後に待っていたものは苦いビールかと思います。
しかし、リアルタイムの『意味』だけを考えるならば、
『価値』に向かっていったその瞬間瞬間は、
快感、いわば「向上感」を得ていたことは、結果問わず間違いないものだと思います。

そこにあるのは、迷いや、諦めや、最近だと、「どうせ〜だろ」といった、ニヒリスティックな傍観ではない、
そして、『価値』ですらない、『意味』そのものである、と、私は思いたいわけで御座います。
だから、実に濃度の高かったその『意味』の中で、「もうちょい耐えられるな」という、
「選択する私」の誇らしさは、『価値』とはまた別にある、と、思いたいわけで御座います。

『価値』とはもしかしたら、分量の限られているパイなのかもしれません。
それでも私は、『意味』の中に身を置きたいという欲求が御座います。
願わくば今後、出来るだけ多くの時間を、出来るだけ濃い『意味』の中に身を置く様、
選択していければ…と思います。

ホント人生ってやつぁ…



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