ヒット カウンタ

中鉢師範のこと


中鉢師範(以下敬称略)は現在消防の救急救命士であり現空研の筆頭師範である。
現在の現空研が存在しているのは、いろいろ苦難の時期を彼を中心に現師範連中が伝統の火を絶やさずに私を支えてくれたお陰である。

中鉢が現空研に入門したのは現空研がまだ拳誠会を名乗っている頃だった。
借りていた道場(幼稚園の体育館)が建て替えのため使えなくなり、設立したばかりの私の会社の近くの公園で稽古を行っていた頃だ。


もう20年以上前の事になる。
本当に月日のたつのは早い。

その当時私はまだ血の気が多く、伝統的な空手に対して批判的な考えを隠すこともしていなかった。
その当時私の口癖は

空手に精神訓話は不要。
寸止めは空手ではない。
だった。

精神論が嫌いだったわけではない。
ただ能書き言うより試したほうが速いだろうといった気持ちが強かったのだ。

当時は会員との年齢差もあまりなく、ただ自分が実際にやりたい空手(理想とした空手)像は明確であり、その形は既存のどの流派にもピッタリしたものが無かったので、考えの似た有志を集めて、やりたい空手を思う存分やるだけというものだった。

それは、実際に当てて本当の強さを実証し、また互いに研鑚するという単純なものだ。
私は神秘的な力といったものは頭から信用しないわけではないのだが、実際に体験しないと納得できない性質なのだ。

そして、たとえ一回や2回体験したからといっても、なまじ理系の知識があるので、トピックス的な少数の体験話程度では合点できない。
統計的な有意とまではいかなくても、体で知るといったレベルでなければ信用できなかった。

だから、まず試して見ようというのが当時の基本的な姿勢だった。
100匁ローソクを拳のスピードだけで本当に消せるのか、ビールビンの口は手刀で吹っ飛ばせるのか。一撃必殺は可能なのか。

理屈や能書きは聞き飽きた。やれるかどうかはやってみるのが一番というわけだ。
そしてその基本的な考えは今もあまり変わっていない。

この基本的姿勢で稽古を続けて得たものは多い。
肉体的な意味で人間はこんなに強いのかという思いと、人間はこんなに弱いのかという思いである。

この二つの両極端の思いは矛盾ではない。
同じ人間でありながらこんなに殴っても倒れないのか、と思うときと、こんな弱い攻撃でこうもあっさりとのびてしまうのかと思うときがあるということだ。

この感覚は武道において長年の稽古で実際に倒し倒されを繰り返した者ならまちがいなく同意を得られると思う。

当時は大学時代ボクシング部と某実戦空手でならしていたHや現師範の本橋、後に警視庁機動隊に入るまだ学生だった西浦、彼の先輩である遠藤、それに伯爵(あだな)が活躍していた頃である。
皆若くしかも体力も十分な連中でそれが今のように拳サポータや脛ガードなんか無い時代にバチバチ当てるので、満身創痍の状態が普通であった。

このような環境で、ほとんどマンツーマン状態で鍛えられた中鉢は体格と素質に恵まれていたこともプラスして、みるみる頭角をあらわし、一くせも二くせもある古参たちもタジタジとなるようになってきた。

しかし、あまりに怪我が多いので、これでは強くなるための稽古が傷を負うための稽古になってしまい本末転倒してしまう、ということと、仲間意識が強くなると相手を怪我させたくないという遠慮から突きや蹴りを加減してしまう、という弊害もでてきた。

そこで、力に差のある相手であっても遠慮なく攻撃できる手段として防具を考えた。
最初は剣道の胴を着けてみた。

剣道の胴はさすが長い歴史があるだけあって大変丈夫であった。
少々蹴っても殴っても壊れることはない。

しかし、その丈夫すぎることが欠点だった。
あの硬い胴を裸の脛やこぶしで力いっぱい蹴ったり殴ったりすると攻撃するほうが怪我をしてしまうのである。

足の指なんかへたすると折れて真横に曲がったりすることも稀ではなかった。
これでは攻撃する方が怪我を恐れて力の加減をしてしまようになるのも無理からぬことである。

こうして紆余曲折を経て現在の形の防具を採用するにいたったのであるが、これはまだ満足していない。
現在新しいものを開発中である。

次の問題は顔面である。
素手の格闘で体力も技術も精神力も十分な相手を制するには次の方法しかない。

1.首などを絞めて、意識を途切れさせる。
2.足や手などの骨や筋肉に障害を与えて立てなくしたり戦闘能力を奪う。
3.内臓に衝撃をあたえて体をシステムとして機能できなくする。
4.目、金的など急所と言われる弱い部分に障害を負わせる。
5.脳を加撃して脳震盪その他の障害で自分の体をコントロールできない状態にする。

1.は柔道の絞め技がその代表である。現在の総合格闘技系でいうチョークである。
2.は空手の下段蹴りやムエタイのローキックがそうである。
3.は空手の中段突きや柔道、柔術の当身、ボクシングのボデーブローがそうである。柔道やレスリングの投げ技もこれに分類されるだろう。
4.は抜き手や金的蹴りなど急所を破壊したり出血を狙うものもある。

これ以外は素人相手の時しか効かない。

例えば、大声で脅したり、ビンタなどで威嚇するということは真の強者には通用しない。
一般に言われる強い痛みで相手を制するなんてのは素人の戯言だ。

例えば柔道の試合で関節や絞め技を極めても根性のある選手は腕が折れても、落ちて気を失っても参った(タップ)をしないケースがある。
命のかかっていない競技会の試合でもこういう猛者がいる。

まして完全に切れてしまった暴漢を単純な痛みで制することができるという考えは甘すぎる。
私の経験では金玉を潰しても腕の骨を折っても向かってくるやつは向かってくる。

週刊誌などで女性向けの護身術として紹介される、ハイヒールで足を踏むとか金的攻撃、目潰しなどは余程の覚悟がなければ素人はやるべきではない。
万策尽きて座して死を待つよりは、といった場面で使うのならまだ許されるが、他の手段があるのに生兵法で立ち向かうのは自殺行為である。

話を戻すが、5番目に挙げた脳を加撃するという方法が実は相手を制する方法としては一番かどうかはわからないが極めて有効な方法であることは間違いない。

私自身も蹴りを頭部に受けて意識を失なったり、モウロウとなった経験は何度もある。
現在唯一ビデオに記録が残っているのが、この中鉢の上段回し蹴りをモロに顔面に受けたシーンである。

10年以上前だったと思うが(詳しい時期を忘れてしまった)、中鉢が飲み屋で知り合ったキックボクサーを道場につれてきたことがある。
彼は沖縄出身のトミシロ(?)選手とタイトルマッチをしたことがあるとか言っていた。

中鉢はじめ私や数人の会員とスパーリングを行った。
私や中鉢とそのキックボクサーは体重差がかなりあったのだが、軽いライトコンタクト程度のスパーリングでも鞭のようにしなるハイキックはなかなか
のものだった。

このときも私は受けたはずのけり足の先を後頭部にもらった記憶がある。

頭部への加撃はボデー攻撃よりは体格差がハンディーにならない。(もっともボデーであってもグローブや拳サポを付けなければ体格差を克服する攻撃方法はいろいろあるのだが)

まあその他いろいろ自分の体験や会員の事故などに遭遇してヘッドギアーを取り入れたりいろいろ工夫もした。
顔面への攻撃の稽古をどのようにするかは現在でも大きな悩みの種だ。

中鉢は空手も強いが酒にも強い。
そして中鉢は若い頃私に挑戦的だった。

ある年の合宿のとき、突然彼が私に挑戦してきた。もちろん酒でだ。
夜中のことであり、持ち込んだウイスキーや酒は全て会員によって飲み干されていた。

○○県警の機動隊員であるE初段(当時)はいくら飲んでも平気である。
ドンブリになみなみとウイスキーを注ぎ、それを一気に飲んでしまう。

それをいくらやっても倒れないのである。
後で知ったのだが、倒れないはずである。

彼は倒れそうになるとトイレにいって指をノドチンコにあてて全部吐いていたのである。
そこですっきり爽快になってはまた飲みなおすのである。

挑まれた勝負には絶対勝ち、勧められた杯は全て受けるという○○県警の流儀だそうだ。
これで鍛えられた○○県警の機動隊には酒では絶対勝てんぞ。諸君。

こういう連中が民宿の全ての酒を飲み尽くしていた。
残っているのはビールだけ。

ビールだけはケースが山と詰まれていた。
それではビールで勝負しようということになり、無制限一本勝負がはじまった。
勝負は夜があけるまで続いた。

勝負は多分私が勝った。
と思う。

別の合宿ではこんな記憶もある。
私は酒を飲んでいてもけっこう真面目な話が好きだ。

多分酔った勢いで私が面倒くさい話でもはじめたのだろう。
いきなり中鉢がからんできた。

「そんな話おもしろくネーヨー」とかなんとか絡んできたのだ。
現空研(当時は拳誠会)は酒盛りの時は無礼講であって、上下なしで腹をわって酒を酌み交わすというのが慣わしだ。

しかし、いくら無礼講とはいっても空手の道場である。
一昔前なら入門が一年違えば神様と奴隷くらいの差があるのが普通だった。

「おもしろくねー」はないだろう。
私は彼の胸倉をつかんで「もう一度言って見ろ」と言った。

「そんな話おもしろくネーヨー」また同じセリフを繰り返すではないか。
目をみると完全にいっている。

ここまで酒が入ると彼を操縦できるのは木村師範しかいない。
しかし、その肝心の時に木村師範は席をたっていた。

そばにいるのは柔道のI先生と飯塚師範その他である。
みんな自分の酒を飲むのに忙しくてこちらのやりとりはおもしろがって見ているだけである。

確かに私もおもしろくない話をしていたのだと思うが、いったん振りあげた拳はどっかに落ろさなければならない。
しかも相手は殺しても死なない中鉢である。

私は拳を彼の腹に降ろすことに決めた。
至近距離だからたいした威力はないのだがそれでも十分腹部にめりこんだ感触はあった。

もうこれでやつも黙るはずである。
ところがなんとやつは、殴り返してきた。

場所も同じ私の腹である。
なんのそんなパンチ効くわけもない。
でもない。

私はコップのウイスキーを飲みほすと中高一本拳をしっかり握り再度中鉢のボデーへ下突きを入れた。
するとこの野郎今度はしっかり腹筋を絞めてやがる。

何発か殴りあった後私は関節技で締め上げた。
それでやっと反撃がおさまり、それから静かで楽しい酒宴へと移り行ったのだ。

もちろん私はだれもおもしろがらないかもしれないが真面目な話を完結させた。
当然だ。男が一旦真面目な話をしたら最後まで聞くのが礼儀だ。
話しているほうもつまらんと気付いても一旦話だしたら完結させるのが男の筋である。

次の日の朝合宿所の道場で中鉢に昨日のこと覚えているかと言ったら「はぁー何のことですか」だと。
「さあみんなさわやかに合宿2日目の稽古をはじめましょう。オース」

中鉢師範は体や顔はあんな強面だが、心情は大変やさしくまた気配りもきいて統率力もあり信頼をよせるに足る人物である。
しかし、酒でとことん勝負すると怖いぞー。

まあ他にも色々面白い話もあるが今回はこれくらいにしとこう。

トップページへ