ヒット カウンタ

子供の空手

 

子供の空手に関する問い合わせが多いのでお答えする。
子供に関する問い合わせには大きく分けて二つある。

一つは我が子に空手を学ばせたいが、いろいろ分からないことや疑問、不安がある。
はじめる年齢は幾つぐらいが最適なのか、危険は無いのか、また始めるにしてもどの流派どこの道場が良いのか。

といったいわゆる入門手ほどき的な回答を期待しているもの。

もう一つは、現在既に特定の道場に通わている、あるいは一緒に通っているが、道場の雰囲気や指導方針がどうもしっくりこない。
というもの。

こちらはかなり具体的な問題点や気に入らない理由を詳しく語られるケースが多い。
まず、最初のケースであるが、これは私にも分からない。

私は私なりの考えはあるが、教育論的な観点から研究したことはなく、また文献や論文も調べてはいないので、これはあくまで個人的な体験からの推察に過ぎない。
ただ、30年以上も空手を途切れることなく続けてきた経験上感じたことを述べてみる。

感じたことと言ったけど、実は信念に近い考えである。
考えを述べるに当たって、その考えにいたった道筋として私自身の過去を少し述べさせていただく。

私個人は本格的に空手に取り組んだのは18歳のときである。
ただ、私の祖父は戦前は私の母校の修猷館で柔道の師範をつとめていたこともある。

親父は高校(旧制中学)時代はサッカーの選手でサッカーで早稲田大学にひっぱられた。直接武道には関係ないが柔道は強かった。

親父の弟(叔父)は空手の師範で現在、現空研の相談役を引き受けてもらっている。叔父に関しては武勇伝の類はくさるほどある。
子供の頃から中国大陸に渡った叔父の武勇伝を聞くのは大好きだった。

もっとも叔母連中からは、ジュイチャン(叔父は親戚からはこう呼ばれている)は喧嘩の話と女の話しかしないのでスカン、ということになっているらしい。

喧嘩は必ず勝った話しかしないし、女にはもてた話しかしないからである。
そういう環境だったので、子供のころから武道は身近に感じてはいた。

叔父は、武道家として見た場合は賛否両論あるだろう。
一言で言えば超リアリストである。

武道が強いというより喧嘩が強いのである。

子供のころ体が小さく病弱だった(本人談)叔父は、大学に入ってから空手を始め、空手部部長、応援団長になり、こと喧嘩に関しては一度も負けたことがない(本人談)という猛者になるのである。

小学生のときは、こうすれば勝てるというハウツウをずいぶん聞かされた思いでがある。
内容は今風に言えば、「サルでも勝てる喧嘩の方法」といった内容のもので、小説千葉周作(だったかな)にでてくる「さとり」の話のように深みのあるものではない。

しかし、当時の九州の田舎の雰囲気は男の子の価値は喧嘩の強さできまる、といったようなところがあったので、私は、ずいぶん真剣に話をきいたものである。

効果のほうはあまりなかった。
なにせ「げんこつをしっかりにぎって相手の目を力いっぱいクラセ」といったようなもので、それができるようなら勝てるに決まっているような事が多かったからだ。

相手が強くて逃げて帰ってきたりするとえらく怒られた。

終戦直後で戦争中は捕虜収容所の所長をやっていた父や中国から引き揚げてきた叔父、戦争で親を亡くした従兄弟など、私は大家族の中で生まれ、幼少時代を過ごした。

いつも一緒に生活していたわけではないが、最も多い時は従兄弟だけで野球のチームが二つできる程だった。
騒々しいなんて生易しいものではない。

この大家族の記憶が今の私の家族あるいは道場の理想像の原点になっているのかもしれない。
子供時代を大家族で過ごしたという経験者は世代が若くなるにしたがって急激に減少する。

かくいう私でも世の中が落ち着きだした中学、高校の頃は両親と妹というようなりっぱな核家族になっていたのであるが。

大家族で生活するというのは、当時ではごくありふれたものだった。というより、日本の歴史上、核家族なんぞというものは現代以外にはないのである。

日本どころか世界を見渡しても殆どの国がそうであろう。
基本的に衣食住に関する物資が不足であればなるべく大勢で住むほうが効率が良いからだ。

年齢や性別、知識や体力が違う人間が自分をさらけ出して寝食をともにするということ、これが実に大切なことだということは前から思ってはいたが、最近より強烈に感ずるようになった。

生活をともなった大家族というのは、ボーイスカウトの集団生活や今時の若者の仲良しサークルなどとは根本から違う。
子供の立場からいうと集団に帰属する人間の選択は一切できないということ。

つまり、中に酒癖の悪いやつや、情緒不安定なこわいやつがいても逃げることができないということだ。
年長の兄貴分に理不尽な暴力をうけることもある。

いちいち理屈を言っていてもうるさいの一言で片付けられる。
年が近ければ、勢力争いも起きる。

おやつの争奪戦は激烈だ。
しかし、こういった環境でも、いやこういった環境であればこそ、思いやりや、やさしさも生まれる。

年下の子供を理不尽な暴力からかばうことや、いつもおやつを獲得できない弱いものに分け前をよこすといっこことだ。

終戦直後の大人たちは毎日生きるのに精一杯だったろう。
南方の島に出征した夫の帰りを待ちながら、それでも毎日食わねばならない。生きていかねばならない。

子供たちと遊んでいる暇はないのだ。
しかし、子供はいつの時代でも、どんな環境でも遊びたいのだ。

まして大勢いれば必ず騒ぐ。
大人達の言葉いつも同じだ。

「うるさい」
「静かにしろ」

いつもそう言われていた私だが、大人になって久しい今道場で子供たちに最もよく口にする言葉だの一つだろう。

一番上の従兄弟は父親の戦死の知らせを受ける。
私が最も慕っていた、そして今でも尊敬している兄だ。

この9歳年上の兄は、私にとっては最高の仲間であり、ボスであり、先生でもあった。

大勢の従兄弟達をまとめるリーダーシップ。
増水した遠賀川に流された私を決死の覚悟で飛び込んで救ってくれた勇気。
いつもおやつを絶妙の配分(悪平等ではない)で皆に分けてくれた知恵。

集団の長としてのあるべき兄貴の理想像の一つとして常に私の心にある。
その兄もたった一人の母親を先月亡くされた。ご冥福をおいのりいたします。

日本で人を殺し満州に逃げていたと噂されていたどうも遠縁らしいというおじさんが戻ってきたときのこと。
怖い話をいっぱいきいた。

大人達は皆避けていたけど、そのおじさんは子供たちにはやさしかった。顔は怖かったけど。
いろんな思い出が山ほどある。

しかし、年上の従兄弟も酒癖の悪い叔父さんも、無理やりマムシを食べさせる叔父さんも、泣いて帰ると怒る叔父さんも、人を殺したかもしれない叔父さんも、皆やさしかった。

見かけ上のやさしさではなく、本当のやさしさがあった。
どんな乱暴な言葉も背後には絶対的な愛情の裏付けがあった。

でも、あのころに帰りたいとは、やはり思わない。辛い思い出もいっぱいあるから。
私は幼稚園児くらいの年のとき、大人に殺されかけたことがある。

それは今も強烈に残っている心の傷だ。
戦争と当時の九州の地域性が生んだ一つの悲劇だったのかもしれない。

私が、なぜこんな話を長々としたのか、
話は4年ほど前に遡る。

私は、世田谷区の議員とある町内の違法工場の撤去問題で話し合っていた。
そこで、たまたま、撤去問題とは全然関係はない区立の学校の問題を初めて聞いた。

今マスコミなどで取り上げられるようになったいわゆる学級崩壊の話である。
その時は、今ほど世間の関心もなく、私もなにかピンとこない話としてただただ聞いていただけであるが、最近NHKや朝日新聞での記事を目にしてあらためてその時の話を思い出した。

一旦問題意識を持つと、いままで間接的に聞いた話がだんだん一本の糸で結ばれていく。
ある私大の医学部で教鞭をとっていた友人が、今の学生(医者のたまご)がいかに社会性が欠如しているかとか、

同世代の経営者が一様に話す新入社員の話、あるいは大学時代の友人が自分の娘がチャパツに染めて無断外泊を繰り返して困っている話など。

私の子供は小学生から大学生まで、今の教育現場の全ての年齢層を網羅しているので、大抵の話は身近な問題として考えることができる。

これらの話を聞くと、太古から言われている「今どきの若者は」といったことではとても説明できない何かが起きていることがわかる。

最初議員から学級崩壊の話を聞いたときは、腹の中では、「なんだそんなことオレなら簡単に処理できる」と思ったものだ。
しかし、現実はそんな生易しいものではないことがわかった。

欧米の事情に詳しい友人の話を聞くと、これが日本独特の問題であることも分かった。
(アメリカなんかは別の問題があるがそれはおいといて)

最初は都会だけの問題と思ったが、故郷の田舎の友人の話でむしろ田舎のほうがより深刻かもしれないといった話も聞いた。

ある種の厚生事業や本来弱者救済のための補助金制度が起こした田舎独特の問題とあいまって、日本中に蔓延している腐敗状況の中での子供社会の崩壊。

学級崩壊の究明が今回の目的ではないのでこの問題はここで終わるが、私の現時点で持っている結論は、これは、先生や生徒あるいは親といった個々の問題ではなく社会システムとしての何らかの構造的欠落が原因であるということだ。

この構造的欠落が何か、またなぜそれが生じたか、そして対処の仕方はといったことも私としては確固たる意見を持っているがこれも今回は差し控える。

しかし、一つだけ外観的な視点で言うと、

この問題は、私が子供のころ経験した大家族というフェーズとは対極に位置するもの、それはシステムとして構築されたものではなく、あやまったシステムから染み出してきた排泄物としての状況の一断面にしかすぎないという思いだ。

話がまたそれていくが、今日はあまり時間がない。
(時間がないので短い文章にできないというカッコ良いフレイズをほざいたじゃないおっしゃった作家がいたな)

じつは明日子供達をつれてキャンプに行くのだ。
その前に何とかアップしたい。

もし、最初の命題まで到達できなかったら、来週つづきを書く。
(つづきをかかなければならない話が多くなりすぎて収集つかなくなってんじゃないかって。まあまあそう言わずに。)

で、いきなり最初の命題に戻って、
子供の空手だが、

だいたい子供に空手を習わせたいというのは、その殆どが子供がいじめられるからだ。

私の東京理科大の恩師で「学びの構造」という著書で有名な佐伯先生という方がおられるが、この著書の中にはご自分のご子息がいじめにあい、「空手でも」習わせようかと考えたことがある、というくだりがある。

空手でもということは空手に特別大きな意味を持たせたわけではないということがわかる。
空手はもっとも手軽に強くなれる手段なのだ。すくなくとも一般の人々にとってはそう思われている。

「痴漢にあったんだって、空手でもやって強くなったら」
それはそれで良いのだ。

最初のきっかけなんて、なんでもそんなものだ。
私が最初に剛柔流を選んだのも、そんなに深く考えたわけではない。

私がかって伝統空手を徹底的に批判したのも今考えると若気のいたりといった面もある。
私が最初に独立して道場を掲げたとき最初に入門してきた者には次のようなことを言っていた。

「空手に精神訓話は無用だ。」
「武道は倒してなんぼの世界だ」
「理屈を言う前に試せばいいじゃないか」

これがいかに無謀でまた生意気で青臭い言葉か。今、だれか他のやつが言っているとすれば不愉快きわまりない言葉だ。

今は、まったく違う観点で教えている。
それは本ホームページの「理念」を読んでいただければ良く分かる。

今回は、この考えを子供にあてはめたとき、具体的にはどういう指導を行うかということを述べたい。
前提としては、次のことを理解してもらいたい。

まず、子供は親と同伴でなければ入門を許さない。
子供の安全は、全ての子供を我が子としての見地からこれを留意するが、保証はない。

指導は一切、私あるいは現空研の師範として認可したもののみが行う。
道場内では私の指示あるいは私の指示を受けた師範の指示が唯一絶対のものである。

基本的には子供には楽しく稽古させるが、挨拶や礼儀などのけじめはつける。
悪ふざけや、さわぐ場合は私または師範が注意する。

注意は、3回注意を基本としたい。

1回目はやさしく注意する。
2回目は厳しく注意する。
3回目はこれが最後の注意だと教える。

それで言うことをきかない場合は、全権を与えられた私あるいは師範が自分だけの判断で真の意味のやさしさを持った処断をゆるされる。

真の意味のやさしさを分かりやすく理解してもらうために、最初に長々と昔話を書いたのだ。
こう書くとすごく厳格で怖い道場のようなイメージを抱く方があるが、まったくそんなことはない。

道場にはいつも厳しい中にも笑いと楽しさが同居している。
子供はむしろうるさいくらいだ。

子供が大勢集まると、はめを外してうるさくなりがちだ。
あるとき、子供達を私が大声で叱責し、静かにさせたことがある。

その晩、ある会員からメールがきた。
「先生の一喝で胸がスーとしました。」

この会員の言わんとしていることはよく分かるが、子供のこの程度の騒ぎでいらいらするというのは修行がたりん。
私が子供の頃の大家族の騒々しさといったら子供でもいやになったくらいのものだった。

その中で大人は適当に叱り、適当にあしらって、ときには一喝したが、根本にはやさしさがあった。
特に核家族で育った最近の若者は自分が子供だった時以外は回りに子供がいなかったので、子供の存在に慣れていない、電車の中で子供がちょっとさわいでも病的に反応する。

昔の大家族の騒音、けたたたましさはあんなもんじゃないぜ。
私は騒音に関しては寛大である。

しかし言葉使い、礼儀に対しては厳格である。
「胸がスーとする」一喝もあるかもしれないが、「胸がスーとしない」放任もある。

しかし、すべて私の考えで判断しているし、当然全責任は私にある。
ということで、うち道場は最低でも小学生でないと無理かもしれない。

純技術的に考えるともっと小さいときから稽古すれば、もっと空手を高度に身につけることができるかもしれないが、それはうちの道場の役目ではない。

あと、これは一番大切なことかもしれないがどの道場もあまり触れたがらないので、敢えて書く。
もし、止めたいときは、遠慮なく申し出て欲しい。と言ってもまだ関係者以外の子供は入門していないのだが、先に言っておく。

要するに私の方針に賛同できなければ止めれば良いのである。
私の空手に関する思想方針は30年間で培われたもの、首尾一間しておりその考え自体は変わることはない。
そしてその考え方は広く公開している。

この考えに賛同できればついて来て欲しい。残念ながら賛同できなければ止めてもらいたい。
外部からの批判は甘んじて受けるが内部での批判は容認しない。
もちろん建設的な意見は大歓迎することは言うまでも無い。

ただ、子供の問題に関しては当の子供より親の方が神経質になる傾向がある。師範の人柄がどうも合わないとか、話があわない道場生がいてがまんできないとか。

ましてや殴る蹴るの方法を教わる空手の道場であれば神経質にならないほうがおかしい。
そういう場合でも、現空研は止めるときに気を使う必要は一切ない。

明日からやめたいといえばすぐやめられる。いちいちもっともらしく理由をつける必要はない。
また、逆の再入門も自由である。刑事事件でも起こして破門されたのでなければ、いつでも復帰可能である。

他流派とのかけもちや移籍も相手側に問題がなければ一切問題にしない。
ただ、かけもちの場合はその旨を言ってもらいたい。

女性の入門に関してのメールも多くいただいているが、今は更衣室の問題だけであって他意はない。
女性を排斥しているのではないかという、やんわりと抗議をいただいているようなメールもあるが、本当にこれ以外の他意はない。

あと、面白い方からメールを頂いた。

さんである。

誰でもできる最強トレーニングのトップを飾っている動画の方である。
実は、私はこの方ともこの動画を作成した方とも面識はなく、いわばかってに借用させていただいていたわけである。

しつはこの方はさる有名なソフトの製作者でかつこの動画を作られた方で兼モデルであるのだ。ウェートトレーニングの実践者であり、そして空手家であったのだ。

あらためて借用の許可を頂き、またトレーニングでの少しのアドバイスを差し上げた。

あと、もう一人別の人からのメール。

「大変感動しました。私も空手を始めてはや10年になりますが、猫をどうやって殺すか日々研究しております。武勇伝を読み、そのヒントがつかめた気がいたします。武勇伝動物編の追加を期待します。
押忍!!猫殺しのウイリーより」

というメールをいただいたが、私は猫を生かして降参させるという活生拳を研究しておるのでご返事いたしかねる。

あと最後に体罰について。

私は先生や母親からは何度もなぐられが、一番怖かった父親から殴られたことは一度もない。
自分の子供を殴ったこともない。他人の子供も殴ったことがない。

おそらくこれからもないであろ。

しかし、体罰を全面否定するものではない。
体罰が必要だと天地神明に誓って思ったとき、深い愛情があり、真のやさしさがあれば、躊躇する気持ちはない。

子供の空手からだいぶ脱線してしまったが明日は朝早く出発するので今日はこのへんで。

 

トップページへ