ヒット カウンタ

気功の達人と対決

この話は気功そのものを評価したり、批判するものではありません。
むしろ、私は気功や太極拳といったものは長い中国の歴史で培われた尊敬に値する文化、武術だと思っています。

以下の話は全て事実であります。

トクマンは「牛」のお友達です。
彼と会って記憶に残らない人はいません。

トクマンとプロレスラーをも倒したという気功士が対決することになりました。
話は少し前にさかのぼります。

ある日道場に二人の中国人が訪ねてきました。
北京から来た、留学生だという話です。

下宿が近くで通学の途中空手の稽古が見えるので、おもしろそうで訪ねてきたということです。
1人が小冊子を私にみせてくれました。

そこには、なにか武術の図解のような絵がいくつも描いてあり、漢字がいっぱい並んでいます。
彼の家に古くから伝わるものだそうです。

もし「興味がおありなら貸しても良いですよ」
「ありがとうございます」私は喜んで借りることにしました。

それは、中国の古い武術の技が絵や図とともに解説してあるようでした。
ようでした、というのは私は中国語が分からないからです。

しばらくして、またその中国人の留学生が来訪しました。
中国人「いかがでしたか」

私「いや大変面白かったです。言葉はわかりませんが、絵や図は理解できますから、あなたはこの武術の後継者ですか」
中国人「いや、私の祖父までで、私は後継者ではありません。でも、私は気功の有名な先生と知り合いで、その方は今日本にきています。もし興味がおありなら、ご紹介しますよ」

私「いや、急にお尋ねしてもかえってご迷惑では」
中国人「いえいえ、そんなことはありません。とてもりっぱな方ですし、ざっくばらんな方ですから」

私「どういう理由で日本にこられたのですか」
中国人「日本のある有名な政治家の病気をなおすためです」

私「有名な政治家?」
中国人「○○大臣の○○というかたです」

私「えー」
中国人「その気功士の方は何度かテレビにも出演されていますから、ご存知の方もあるかもしれませんよ。」

そう言えば、中国の気功士がテレビで、大勢の人を催眠術のようにユラユラゆすったり、箱の中のローソクの火を消したりするショーのようなものを見たことを思い出しました。

私「そう言えば、私もテレビで見たような気がします。」
中国人「そのショーがそうかどうかはわかりませんが、何度か出演されてますので、そうかもしれませんね。ヨーロッパではプロレスラーを気功で倒して新聞にも大々的に報道されました。」

私「急に興味が涌いてきました。もしご迷惑でなかったらぜひご紹介お願いいたします。
それから一つお願いがあるのですが、私以外に後二人同行させてもかまわないでしょうか。
それから写真を撮らせていただくこともあらかじめご了承ねがえたらありがたいのですが」

中国人「ええ、構わないと思いますよ。連絡してみます。」

何日かたって連絡がありました。OKだということです。
私は、当時道場で師範をしていたHとトクマンを連れて行くことにしました。

Hはもと自衛官で極真空手の経験者でもあります。そして当時プロのカメラマンでもありました。
彼に写真を撮ってもらうことにしたのです。

トクマンを選んだのはプロレスラーに対抗するためではありません。
彼が、つまらないことで両足に軽い火傷をしていたからです。

案内された都内某所の道場というか教室はりっぱな建物でした。
中国服をきた美人の方が受け付けに立っていました。

応接室に案内され「どうぞおかけ下さい。」と促されます。
「先生はちょっと別の客人とお話されています、すぐまいりますからしばらくお待ち下さい。よろしかったらビデオをご覧になりますか?」

と言って、テレビのスイッチを入れました。
そこでは、先のテレビで放映されたショーが、写しだされました。

すごいの一言です。
手をスっと出しただけで人がバタバタと倒れます。

プロレスラーを倒したときの新聞記事も見せてもらいました。
ドイツ語の新聞だったと思います。

「ハアーすごいですねー」と感心するばかりの我々3人でした。
しばらくして先生が現われました。

ちょっと小柄な方ですが、背筋をピンと伸ばしたおだやかな紳士です。

私「いやーお忙しいのにありがとうございます。」

気功士「○×▼◇≠・・・・・・・・・」 ←中国語

通訳「私の方こそ空手の達人にお会いできてうれしいです」

以下面倒なので通訳の言葉を気功士の先生の言葉にします。

私「達人なんてとんでもない。ただ空手を勉強しているだけの者です。あなたこそ今ビデオを拝見いたしましたが、すごい術ですね」

気功士「いやいや、たいしたものではありません。中国にはもっとすごい先生がいらっしゃいます」

私「早速ですが、いくつかご披露願えますか、私は空手家なので、できれば武道としての気功を見せていただければ幸いです」

気功士「ではこちらにどうぞ」

すごい。上の階に道場があるのだ。
うちの更衣室もないボロボロ道場なんて比べ物になりません。

私「写真を撮らせていただいても構いませんか。」

気功士「どうぞ、まず皆さんに気功の基本を体験してもらいます」

そのあと、気功の先生は我々に先生の動作をまねするように指示され、腕をゆっくり開いたり閉じたりさせられました。
「そよ風を感じませんか?」とか、細かく覚えていませんが、いろいろ長い間やらされました。

私は根が短気なものですから、

「あの、例のプロレスラーを倒したという術をこの男、トクマンにかけてもらえませんか。」
と短刀直入に切り出しました。

気功士の先生はなにやらごにょごにょと通訳と話しています。
通訳は例の留学生ともう一人別の人です。

留学生が、「今日はやめときましょう」と言いだしました。
私は「なぜですか」と聞くと、また通訳とごにょごにょ話しています。

通訳は「争いや戦いはあまり好まない」と先生はおっしゃっているというのです。

私「争いではありません。体をさわらずにこのトクマンを倒していただくだけで良いのです。こちらは何の攻撃もしませんから」

気功士はしぶしぶ、「ではやってみましょう」
私は「おいトクマンしっかりやってこい」と声をかけました。

トクマンは明るい好青年です。

トクマン「オス、しっかり倒されてきます」
私「わざと倒れることはない。組手のつもりで立っていろ、でも攻撃はするな」

と言いました。

道場には緊張の空気が張り詰めます。
Hは写真の準備をはじめました。

いきなり、静寂をやぶるトクマンの唸り声。

トクマン「ハァー!!!!   くぅーーーー」
通訳「あれ.いったいなんですか」

私「イブキです」

トクマンは一礼して前屈で構えました。

私「いつでもいいです。倒して下さい。遠慮はいらないです。」

トクマンはうらめしそうな目でチラッと私を見ました。
気功士の先生は、ゆっくりした動作で何やらはじめました。

皆固唾をのんで見守っています。
緊迫の静寂の中でニコンのシャッター音だけがメカニカルに響きわたります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・
息がつまりそうです。
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

いつ倒れるかいつ倒れるかと釘付けになっていた我々の方に、突然気功士の先生は何かしゃべりはじめました。

私「?????」
通訳「今日は調子が悪いそうです。」

気功士「私は今日は体調があまり良くありません。それと、皆様がたは、空手の道を究められた達人でいらっしゃいます。このような方々にはなかなか技をかけるのが難しい」

私はトクマンがやっと茶帯を取った段階だと喉まで出掛かった言葉を飲み込みました。

私「わかりました。お疲れのところありがとうございました。それでお疲れのところまことに申し訳ありませんが、後一つだけお願いがあるのですが」

トクマンはある事件で両足首を火傷しています。

私「彼はいま両足首を火傷しているのです。もし、気功で何らかの治療あるいは治療の促進ができるなら、やっていただきたいのですが」

気功士「ああ、いいですよ。個人差はありますが、何らかの良い影響は与えることができると思います。」

私「それでは右足だけお願いいたします。左足と回復に至るまでの日数が違えばいちばん確実に効果を確認できますから」

気功士「・・・・・・・・・・・・・」

私は実証データが無いと何事も信用しない質なので、多少失礼かとは思ったのですが、正直に訳を話して了解をいただきました。
気功士の先生もさすがちょっと嫌な顔をされましたが、私に敵意はないということを理解されてOKされました。

気功士の先生は手をかざして治療を開始しました。
これも許可を得て写真を撮らせていただきました。

治療も終わり、近くのレストランで食事をしました。
気功のすばらしい奇跡のようなお話をいっぱい伺いました。

気功士の先生も「空手もすごいものですね」、
といった話で日中友好のムードでお別れすることができました。

トクマンはやがて火傷はなおりましたが、特に右足が早く治ったということはありませんでした。
この気功士の先生がたまたま調子がわるかったのかもしれません。

あるいはトクマンは気功の影響を受け難い得意体質だったのかもしれません。(この可能性はけっこう大きいかも)

この一例だけで、気功がどうのこうのというつもりはありません。
気功の先生も今日は体調が悪かったともおっしゃっていましたから。

最初に述べたようにこれは気功を否定する意図で書いたものではありません。
この先生も最後まで礼儀正しい紳士でありましたし、第一写真撮影をはじめ、こちらの要求をすべて受け入れて下さったのです。

中国でこれだけ長い歴史の風雪を耐えて生き残ってきた術ですから、何かあると思います。
でも今回はこの目で確かめることはできませんでした。

 

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