怪我を少なくする事が最強への近道

2017/10/16

 

空手に限らずあらゆる武道、スポーツでは怪我を皆無にする事は難しい。
どんな達人でも、どんなに注意していても、長い間には多少の故障はつきものである。

「無事これ名馬」という言葉がある。
これは「競争馬は少し位素質が秀でている事より故障しない、常に無事である馬こそ名馬である」という馬主でもあった作家菊池寛の言葉である。

確かに味わい深い言葉であり、私も引用することの多い言葉であるが、実際には、常に無事を通すということは武道やスポーツに限らずあらゆる世界で不可能な事である。

様々な工場でも災害ゼロを目指さない所はないが、災害をゼロにすることは不可能だ。
交通事故でもそうだろう。

組織においても個人においても、事故や怪我を無くす努力は不断に行うべきであるが、現実的にはゼロにはできない。
災害や怪我の発生率をいかに低くするか、また起きたとしてもその被害を最小にするにはどうしたら良いかを考えるべきである。

私自身、長年の空手修行中に被った怪我や障害の数は数え切れない程である。
幸いにして命を失ったり再起不能に陥る事態にはならなかったが、結構シビアな状況は何回も経験した。

若い頃は、こうした怪我や故障を自慢しあうような風潮もあり(現在もあるかもしれない)多少の傷は勲章のような気持ちがあった事も怪我を増やした一因になっているかもしれない。

たしかに、「鍛える」という言葉には、ある程度体に負荷をかけて軽い障害を起こさせ、それが回復する過程で前より丈夫な体になって行くという意味合いが感じられる。

事実筋肉トレーニング方は、筋肉に過大な負荷を与えて、そのダメージが回復する時、前の状態より機能が上がる(超回復)という特性を利用したノウハウの集合体だ。

心肺機能を向上させる目的で行われる高地トレーニングも同じような原理であろう。

実際こうした鍛錬やトレーニングは効果があることは実証されているし、いろんな手法が考案されてまだまだ進化の途上にある。
これらは、「無事これ名馬」という教えとは少なくとも見かけ上は相反する。


徹底的に無事を追求すれば、それは何もしないという選択に行き着くからだ。
「寝ていてころんだ試しはない」というわけだ。

しかし馬を寝かせていれば名馬になるわけがない。
トレーニングとは一歩間違えれば怪我や故障に見舞われる、そしてそのリスクはより上級を目指す高度なトレールングになればなる程上がってくるという宿命をもっている。

どんな世界でも言えるがリスクなしのリターンは有り得ないということだ。
私はトレーニングに関しては昔から明確な基準を持っている。

故障をゼロにはできないが許される故障と許されない故障を明確にする。
許される故障の基準は回復可能な故障である事。
逆に許されない故障は回復不可能な故障。

回復不可能な障害とは失明とかある種の内蔵障害で、治療しても機能の回復が望めないもの。
これは最善を尽くして避けなければならない。
一方回復可能な故障は、通常の筋肉痛や打撲、疲労である。捻挫や骨折も程度が軽くて完全復活が可能なものは含まれる。

これが私の許容できる怪我の基準であり、現空研の方針としても取り入れている。

最近はこれにプラスして、トレーニングの強度に関しても考察している。
それは身体に与えられる負荷は、個人差や年齢差、性差があり、これをどのようにして考慮していくかである。

生涯空手を標榜するためには、こうした配慮も精緻に行う必要がある。

空手で強くなる秘訣のトップに挙げられるもの、それは継続である。
何十年も道場生を見てきて感ずる事は「続けた者が一番強くなる」という思いだ。

どんなに素質に恵まれていても短期や辞めた者はそのレベルに留まる。
あるいは年齢とともに衰えていく。

しかし続けている者の殆どは「現在」が生涯最強である。
もちろん年を取ればそれなりの体力や心肺機能の低下はある。

しかし生死を決する総合的な格闘能力や精神力は「現在」がトップである。
これは多くの会員が言われるまでもなく実感として持っいると思う。

問題はこうした高度な技能を持っているものがそれを維持、そしてさらなる向上を目指すためのトレーニング方法はいかにあるべきか、ということだ。

継続すること、そのためには怪我をしない事、無理をしない事、しかし適度な負荷はかけ続けること。

道場の柔軟体操は、誰もが無理なくできる範囲で、しかも本質を外さない事で厳選している。
一流バレリーナや体操選手に課すようなものは行わない。
若者から熟年でも体の固い人でも一応はできる範囲でしかも、個人の能力で調節可能なものを厳選している。

そして基本技も剛柔流を基本にしているが、新たに取りいれた物もある。
しかし伝統的な技でその実効性に関しては多少不明なものも、伝統の継承という観点から排除せずに残してあるものもある。

技に関しては、同じ突きでも、その目的によって動作方法や原理は大きく変わる。
ただポイントを狙うスピードだけを重視したものと、実戦的な破壊力を追求したものは、腕や拳だけでなく腰や体幹の使い方からまるで違ったものになる。

こういった事も常に意識し、させる事が長い目で見た進歩には大きな要素となるであろう。

いずれにせよ、無理がなく道理にかなったトレーニングを故障を少なく、最小限の怪我に押さえながら長期に続けていくということが、最強への王道であると確信している。


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