ヒット カウンタ

空手と柔道は仲が悪い?

昔、姿三四郎という小説がありました。映画やテレビドラマにもなり、大変な人気でした。
この中で出てくる、ヒガキゲンノシンなる人物がいて、こいつが大変な悪役なのです。

この悪役が空手の名人という設定です。
痩せて、眼光鋭く、長髪をなびかせた、恐ろしい顔つきのこの空手男が、奇声を発して、紅顔の美青年柔道家、姿三四
郎に襲いかかります。

この空手男の空手の威力はすさまじく、壁でも岩でも拳や蹴りが当たると全て粉々になってしまいます。
三四郎は、何度もピンチに襲われますが、なんとかこれらの攻撃を切り抜け、最後は、豪快な山嵐で空手男を投げ飛ば
して勝ちをおさめるといった幕切れなのです。

この小説の作った空手のイメージは、すごいものがあります。
大体、戦後の空手のイメージは力道山のカラテチョップとヒガキゲンノシンを足して2で割ったようなものです。

力道山の方のイメージは正義の味方ですが、ヒガキゲンノシンのイメージは悪のかたまりです。
力道山がいなくて、ヒガキゲンノシンだけだったら空手はいまごろどんなイメージになっていたのでしょう。

極真会館の故大山倍達氏の半生を描いた「空手バカ一代」が少年マンガで大人気を博したのは、づっと後のことです。
空手家が主人公になった話はこれが最初ではないでしょうか。

それにしても、姿三四郎にしろ、力道山にしろ必ず相手として登場するのは柔道です。
ヒガキゲンノシンの相手は姿三四郎、力道山の場合は、あの柔道の鬼といわれた故木村政彦氏です。

当会の相談役(元日大応援団長)が若かりし頃(戦前)、拓大、国士館と多摩川で対決したときも相手は柔道部でした。(日大三大事件の一つ)

このように、空手は常に対峙する相手としては柔道が登場していました。
現在の実際の世界ではどうでしょうか。

少なくとも私の回りでは柔道と対立するといった図式は見られません。
個人的な世界で言いますと、私は、友人は柔道をやっている人の方が多いのです。

今は亡くなったのですが高校時代の一番の親友は柔道部でした。
彼は大学では和道流空手をやって4年のときはキャプテンを務めていました。

その他も高校以来の友人や現在つきあっている人もむしろ数では柔道関係の人の方が多いくらいです。
私に関しては空手と柔道の対立関係なんかは昔からまったくないのです。

ただ、彼らと話していて、酒が入って本音が出せる状況では、ここだけの話、最初は空手に対してはあまり良い印象は持ってなかった、というようなことはよく聞きました。

ここだけの話を掘り下げて追求すると、最後は姿三四郎に行き着きます。
とにかく、全ての元凶はここにあるというのが私の考えです。

でも、逆に、姿三四郎がなければ、空手の威力がこれほど世間に知られるということもなかったのではないでしょうか。
子供の頃の私にはとりあえず、この威力の部分だけが魅力でした。

空手は「強いけど野蛮だ」、というネガティブのイメージは、ひとつ裏返ると「野蛮だけど強い」というややポジティブな発想に変わり得ます。
この転換のきっかけになったのが空手バカ一代だったような気がします。

「野蛮だけど強い」というのは、ある意味では男にとっては勲章です。
少なくとも「やさしいけど弱い」、というよりはましです。

もちろん、「やさしくて、強い」というのが一番です。
昔は、この賛辞は柔道が一身に浴びていました。

これからは空手家もこの賛辞をあびるように努力したいものです。

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