ヒット カウンタ

自信をつけるには

寸止めの空手を稽古しておられる方からメールをいただきました。
3年間稽古しているが多少とも強くなったという自信が持てないということです。

  1. フルコンタクトと寸止めの問題。
  2. 巻わらを叩くことで強くなれるか。
  3. 客観的な強さと自分は強いという実感をもてることの差

など、多くの課題がありましたので、ここでお返事をさせていただきます。

私は初心者は寸止めの稽古を十分行なう必要があると考えています。
寸止めの稽古には、素手で顔面にあてるという前提に立った場合の合理的な攻撃方法が凝縮されているからです。

ボクシングと空手を比べた場合、一番大きな違いはグローブの存在です。
空手の突きはグローブを付けたら威力は半減します。

空手の突きは石のように硬い拳で頭蓋骨のような硬い対象に加撃し、それを破壊するという前提で組み立てられた技術です。
人間の頭蓋骨は丈夫なものです。拳を全く鍛えていない素人が素手で人の頭を力いっぱいなぐったら必ず殴った方が怪我をします。

瓦を5枚程度は割れるように鍛えた拳でやっと頭蓋骨に対抗できるほどです。
十分に鍛えた硬い素手で頭蓋骨を割るといった前提ではボクシングのような殴り方とはまったく異なった技術が必要です。

ボクシングのパンチは長い歴史の上にクローブの重さも利用して脳震盪をおこさせるようなパンチの技術としてかなり高いレベルで完成されています。
しかし、この技術はいかに高度であってもボクシングのルールの中で追求されたものです。

空手の突きは素手が前提です。
十分であるとはいえないのですが、伝統的な寸止めの技術は、こと顔面に対しての素手による効果的な加撃方法の習得に対してはかなり有効だと思っています。

一方フルコンタク系の稽古はどうでしょうか。
これは、実際に突きや蹴りを当てるわけですから、技が効くか効かないかの実感がすぐ得られるという利点があります。

しかし、一方危険防止のため突きによる顔面への直接攻撃は禁止されます。
フルコンタクト系の稽古の問題はこの一点に凝縮されます。

顔面への攻撃を許すかどうかで戦い方はまるで違ったものになるからです。
ここのところを意識して当てる稽古をしないと、とんでもないことになります。

ある一定のルールのもとでの勝敗にこだわるのであれば、何おか言わんやです。
しかし、フルコンタクトで稽古行なうことによる拳の感触や蹴りを当てたときの実感も非常に大切なものです。

ある程度の基本がしっかりできたら、やはりフルコンタクトでの稽古は大きな意義があります。
フルコンタクでの拳の実感といっても、そればボディーに限られた範囲です。

しかし、実際やってみると、技だけではだめだし、力だけでもだめだということがいやというほど分かります。
十分基礎ができ、拳も鍛えられ、そして筋力トレーニングを積んだ腕で殴られると骨まできしみます。

逆にそういう腕を持って突きを入れた場合、相手の動きや声、気配で効いたことがすぐ分かります。
こうした、実感を持つことが自信につながっていくのです。

全ての稽古においてその意義を理解して行なうことが大切です。
巻わらを叩いたり拳立伏せを行なうことは拳を硬くして、相手の頭蓋骨に負けないようにするためだし、寸止めの稽古は、グローブや防具なしで、実戦を戦うための技術習得の一手段だし、フルコンタクトの稽古は、当てる、当てられる感触を得て、必要以上の恐怖感を取り除いたり、体を鍛える意味もあります。

自信は、こうした稽古のなかから実感として湧き出てくるものです。
こうした自然に湧き出るものがないかぎり、強くなったとは言えないでしょう。

それから、もう一つ大きな要素は黒帯をとることです。
黒帯は、どんな流派にしろ一定の基準に合格しないともらえるものではありません。

本人が一人でどんなに俺は強いと主張しても、一定の基準を満たしていると認められない限りはもらうことはできません。
逆に、そんなに強くなったという実感を持ってなくとも、客観的に認められたということは、第3者の目からみると強いということの証明です。

初めて黒帯を締めたときの実感は生涯忘れるものではありません。
黒帯は一つの目標ではありますが、本格的な強さを獲得する出発点でもあります。

さらに技を磨き、力をつけ、多くの体験を重ねることにより押しもおされもしない自信とゆとりを持つことができます。

 

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