岩井のぞみさんの演奏会に現空研会員と行ってきた。 

2014/12/18


本日は岩井のぞみさんのNozomi Iwai Piano Recital 2014 リリース記念コンサートに行ってきた。

ご招待にあずかり 主催者のご厚意で数名の同伴が許されたので、修猷館の同窓のKiuchi氏(日本航空)とSonoda(S)氏(元日本鋼管現通訳)夫妻、および後輩で現空研会員のIto君(Langland外国語学校経営)と娘さん、Ozaki君(オリックス)を連れて行った。

 

この四名は音楽にも造詣が深く話をするとすぐ興味を示してくれた。

Kiuchi氏はクラシックからジャズまで幅広く興味をもっていて、アメリカでは有名なジャズスポットであるブルーノートなどにも出入れしていたらしい。

今回知ったのだがピアニストのグレンクールドが好きでレコードを多数所有しているとのことだった。

 

私もグレングールドには大変興味を持っており、特にマルチメディア論で有名なマクルーハンとの関係については東京造形大学のコンピュータ技術論で最近取り上げて講義したばかりだった。

彼も技術屋でありオーディオにも詳しく、アメリカでの生活でコンデンサスピーカを作ったりいろいろ実験をやってたみたいだ。

 

現在はCDをMP3に落として聞くといった私も含めて最もポピュラーなリスナーの一人である。

今回の大きなテーマであるハイレゾとは対極にある存在だが、実は技術的な面からはMP3はなかなかしゃれた技術を使っていてソフト屋としては一目置くべき存在なのだ。

 

オーディオという分野はアナログの時代からとんでもないマニアの世界があり、人間の可聴周波数を超えた原音の再生に命を懸けたような人が大勢いた。
デジタルの時代に入ってCDの規格の出現で一度はほとぼりが冷めたのだけど、デジタルの世界もインフラの整備も含めてリソースが潤沢に使えるようになりハイレゾという世界でマニアの世界が復活してきたのだ。

 

私は個人的には幾つかの懐疑的な意見を持ってはいるが、トータルとしては肯定的にとらえている。

特に原音を最初に取り込む段階ではできる限り忠実に取り込みたいので、ハイレゾは必至である。(というか現状そうなっている)

 

問題はそれを配信する段階で、どの程度ダウンサイジングするかという事となり、これは技術だけの世界ではなく、インフラを含めた社会的な状況や個人の嗜好形態などが広範囲のファクターで考慮されるべき問題となってくる。

 

先日レコーディングされた岩井さんの演奏は今日CDが発売開始されハイレゾの配信も今日から開始された。

展示場で拝聴したが実際その生の演奏を聴いた私が実感する素晴らしい録音だった。

 

彼女も今日それを聞いてドキドキしたそうだ。

どんな意味での「ドキドキ」かはわからないが。

 

今回は日比谷のスタインウエイサロン東京の松尾ホールというこじんまりとした会場でのコンサートだったのだが、間近で鑑賞できる最高のシッチュエーションとなる。

演奏曲は今回も最初にバッハのイタリア協奏曲からだ。

この曲は私も練習したことがあるから熟知している。

 

やはり最初に注目したのは目が見えないのに最初の一打をどうするのか、また音程が飛ぶところの打鍵をどうするかといったもっぱら演奏技術の面に関心が向くのは否めない。

以前彼女に質問したことがある、鍵盤の位置はどうやって捉えるのか。

 

これは彼女は生まれながらの盲目ではない。つまり完全に目か見えないという環境は大学生になってからのものだ、という事も私を驚かせている点だ。

ピアノを弾くという問題以前に、全ての生活、行動が大人になって大きく変動しているといいう点にこの凄さを実感している。

 

武道の世界では心眼という言葉がある。

目で見るのではなく心で相手の動きを感ずる力のことである。

 

暗闇で敵の気配を察知し、的確な対処ができる能力のことを指す。

しかし、それはあくまで心構えの話であり実際に目隠しして組手をできるというような話ではない。

 

しかし彼女の演奏は完璧であった。

私の質問に彼女は以前「まさぐっているのですよ」と答えた。

 

今回もうちあげパーティーで質問してみると同じ答えだった。

しかし、目の前で見る演奏にはまさぐっている様はまったく見えない。

 

「まさぐる」という語感からは鍵盤は触って探しながら恐る恐る打鍵していくといったイメージがあるが、彼女は常に自信満々でフォルテの音を叩きだす。

空手で言えば小手先の手打ちではなく、腰の入った、しかも脱力した極めの効いた突きだ。

 

これが後天的に目が見えなくなった状況でできているのである。

まさに神業に等しい。

 

私も実験が大好きなので、目をつぶってピアノを弾いてみた。

腕全体が大きく移動しない範囲なら何とかなる。しかし文字通りまさにまさぐりながらだ。

 

音か飛んだら全くだめだ。

彼女が弾いたシューベルトやドビュッシーなんか挑戦する気にもなれない。

 

友人の園田(真)が、最近のIPS細胞の応用で網膜も近い将来再生できるようですよ。

と言うと、それはそれなりに素晴らしいけど、現在ピアノの演奏するうえでは現状をそれほど恵まれていなという感じはないです。

 

彼女は心境をそう話してくれた。

私たちはまた驚いてしまった。

 

そのほか、新曲に取り組む時は読譜はどうするのか、いろいろ技術的、テクニックの面で多くの質問をした。

その全てが驚きの連続であった。

 

私はこの後すぐ道場で彼女の事を話し、忘年会でも話させてもらった。

そこには音楽、武道の違いはあっても道を究めようとする者にとって多くの知恵と勇気とまた示唆を与えてくれる多くの宝物があると思ったからだ。

 

 

演奏を終えて私の仲間たちと記念撮影        

 

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