ヒット カウンタ

全ての力を内なる自己の中に

Horikomi君は入会の時から印象の深い青年でした。
空手を始めたのが日本ではなくイタリアです。
それなのに現空研に入門してからの稽古態度は常に求道的であり、古き良き時代の日本人を感じさせる存在でした。
お父上は初期の頃の極真会館で空手を修行されており、その武道精神はそのまま息子のHorikomi君に引き継がれています。
奥さんはイタリアで仕事だけでなく空手も続けられているということで、最初はイタリア人の方かと私は誤解していました。
日本に帰国されたおり目黒道場に一度来られましたが美人ではあるがまぎれもない日本人で驚きました。
Horikomi君は空手だけでなく、専門のイタリア語はもちろん、料理やワインの造詣も深く、最近は英語もより深く勉強されているようです。
現空研のIto君(私の修猷館の後輩でアメリカでMBA資格を取った秀才)が経営する外国語学校にも通っているということです。
空手に関しては、対外試合にも積極的に参加し、昨年は散打大会でもNito兄弟らと大活躍しました。
またブログも開いており、現空研の愛読者も多いようです。
その彼がついに10人組手を達成し黒帯を締めることになりました。
そこに至るまでの道のりやその過程で感じた事、心の動きがここに生き生きと描かれています。
彼の長いこれからの人生の中で、この10人組手の完遂は大きな精神的な武器となっていくことは間違いありません。

 



平成18年10月3日
Horikomi 初段
『旅の指差し会話帳6・イタリア』(情報センター出版局)の著者
日本ソムリエ協会認定ワインアドヴァイザー
神奈川県 在住





本来十人組手の感想を書かせていただくところなのですが、
あまりにもアタマから飛んでしまっているので、
空手を通じて感じたことを長々と書かせていただきました、
ご了承ください。

私が空手を始めたきっかけは、いろんな理由が重なっていましたが、
一言で言うならば、「やるかやられるかという緊張の世界に身をおきたい」
という奇妙な欲求からでした。
当時、イタリアのミラノに駐在しており、住んでいたアパート兼事務所の地下に空手道場があり、
仕事とプライベートのメリハリのない生活に飽きて、思い切って行くことにしました。
しかしイタリアの多くの伝統系道場のように型が中心のため、
「殴るか殴られるか」なんて考えで道場に来る人はおらず、
みなむしろもっと崇高な、自己鍛錬とか精神修養のためにきている人たちが中心でした。
そのことに、なにか違うという違和感を感じながら、
続けていましたが、徐々にやる気がなくなり、結局辞めました。

その後、イタリアでは主流である松濤館系の道場で教えていただけることになりました。
そこもイタリア人の先生でもう60歳近いですが、今も熱心に稽古されていて、結局帰国するまで約1年間、そちらでお世話になりました。
ただ唯一疑問だったのは、
「自分は黒帯になったときに、暴力にあっている誰かを助けることができるのだろうか」ということでした。
型を覚え、ある程度の組手をできるようになっても、
それが街で誰かを助けるほどに、強くなっている自信とはなりそうにありませんでした。
本来の空手の目的が自己鍛錬のためにあるのであれば、それでもよいのかもしれませんが、
私は街で出くわすかもしれない不条理な暴力に対して、逃げたくないと
いつしか思うようになっていました。もしかしたら留学時代の授業のせいだったのかもしれないのですが。

私がイタリアに留学していた頃、ある高校の哲学の先生に言語学を教えていただいていました。
もう高齢になられるそのイタリア人の先生は、最初の授業で、
「自分の彼女が目の前で襲われていた、君ならどうする?」
と質問されました。
私が
「注意してやめさせます」
と答えたところ、
「注意しても止めなかった場合はどうする?」
とさらに質問され、私は答えに困りました。
「そういう時は力づくで止めなければいけない。お前がいくら注意したってそいつは止めはしない。
そうなったらお前は戦わなければならない。」
と正されました。
哲学の先生なんて理屈を捏ねている印象だったので、
その答えは強烈に印象に残りました。
本質的な強さには、いざという時の身体的な強さも
含まれているのではないかと感じ、
その経験も手伝って、空手の黒帯=いざという時には強い、
ということにこだわりをもっていました。

駐在から帰国し、イタリア人の先生からある団体の道場に行きなさい、
と言われており、最初は近所のその道場に見学に行きました。
しかしそこで見学していると先生がお休みで、別の指導員の方が教えてらしたのですが、
その方が小休止の時に、タバコを吸いに行くのをみて、入会を辞めてしまいました。

辞めてしまったことは後悔していませんでしたが、
結局どこの道場も中途半端になっていることは心残りでした。

そこでイタリアでホームページを全て読んで気になっていた道場があり、
見学してみることにしました。
それが現空研でした。
帰国後すぐに足を運ばなかったのは、本当はフルコンタクトが恐かったからであり、
自信がなかったからでした。

しかし実際に見学に行くと、きちんと安全面を考えられていて、
これなら自分にもできるのではないか、(正直に言うと、伝統派とはいえ、
一応経験もあるのだし)そこそこやれるのではないか
と、生意気にも考え入門させていただくことになりました。

ところが、見学ではあんなに簡単そうだったフルコンタクトの組手は
やってみると想像以上に苦しく、激しいものでした。
まず、全力で打ち込んでも相手には効かず、
打たれると想像以上に痛く、
体力は一瞬にして奪われ、突きも蹴りも全く上がらなくなりました。
こんなはずはない、と稽古に通っているうちに、
今までの道場では体験したことのない速度で周りが
上達しているのを間近で見て、
自分もうまくなれるのではないかと、確信するようになりました。
そのうち道場の仲間とも仲良くなり、稽古の後の馬鹿話や飲み会が楽しくなり、
稽古に行くには緊張で重い身体を引きずりながらも、黒帯の審査を受けさせていただくまで、
続けることができました。

今回の昇段審査の十人組手の内容に関しては、あまりにも記憶に残っておらず、
特筆できることがほとんどありません。
自分なりにはできる限りの準備はしてきたので、
なんとか5,6人目まである程度体力が残ってはいたのですが、
それでも今その内容を思い出してみると一人目の方から断片的にしか記憶がありません。
それ以降となると、苦しくて、一人一人お互いに礼をするだけでも
ものすごく体力が奪われたことだけが思い出されます。
組手の最中に関してはほとんど記憶にありません。
ただ最も嬉しかったことは、後半になっても上段廻し蹴りで技ありを取れたことでした。
その時だけ、記憶があるのですが、相手がどなたであったか、思い出すことができませんでした。
そして一番印象に残っているのは、終盤になり、苦しくて「早く終わってくれ」と弱気になった時に、
応援してくれていた仲間が「今、前に出ないと後悔するぞ」と声をかけてくれたことでした。
疲れきって、一歩前に出るのも辛い状態の時に攻撃を出すことは、
やった人にしかわからない苦しさを伴いますが、声援が力になり、突きを出し続けることができ、
それが一番の思い出になりました。

「稽古とは、半紙を一枚一枚積み重ねるようなものだ」
とどこかで読んだことがあります。
私は学生の頃イタリア語を専攻していたため、今もイタリア関係の仕事をしていますが、
イタリア語を含め、語学の才能があると思ったことはありません。
そして空手に関しても才能があるとは思っていません。
しかしながら、才能がなくてすぐにはできなくてもたいていのことは100回繰り返せば
できるようになるのではないか、と空手の稽古を通じて考えるようになりました。
一回稽古をサボっても下手になった気もしなければ、一回稽古に出てもうまくなった気もしません。
確かにそれは半紙を一枚重ねたか取ったかのようなもので、
増減が目には見えません。
しかし半紙が100枚になった時、誰の目にも明らかな違いとなっており、
その100枚のためには、目には見えない一回の稽古を
積み重ねるしかないと思います。 
語学もいくらやってもなかなかできるようにならないし、
気の遠くなるような無駄に思える作業の繰り返しで学んできました。
しかしその過程は、「ちょっとできるようになったかな」
「全然うまくならないな」という自信と不安という半紙の積み重ねで、
空手の稽古と非常に重なるところがあります。

初段をいただく身になっても、そのこと自体が私のゴールでも目的でもありませんが、
道場を転々としていた自分にとってはある種のケジメができたと思います。
そして今では、空手は少なからず自分の心の支えとなってくれています。
それは今日まで続けることができたという自信が支えてくれているのだと思います。

その自信を与えてくださったのは、園田会長であり、道場のみなさんのおかげだと思っています。
今ももっと強くなりたいと願っていますが、そのためには稽古とその継続が必要になります。
園田会長にお会いできたことで、「この稽古を続けることで強くなれるのだ」という
自信を与えていただき、道場の皆さんのおかげで今日まで楽しく続けることができました。
現空研で初段をいただけることを、大変誇りに思っています。
押忍

HorikomiR

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