ヒット カウンタ

判断できない大人たち

 


普通の大人たちが最近変だ。

普通の大人たち、すなわち穏健な正義感を持ち、社会に対して建設的で、両親を大切にし、子供に愛情をそそぐといった人間として最も一般的な思想を持っているはずの大半の大人たち。

彼らが何か変だ。
特に指導者的立場にある大人たちに異変が起きている。

一言で言えば自信喪失。
自分の考えを主張できなくなっている。

若者や子供たちに人間としての基本ルールを教えることができなくなっている。
学校の不良グループや町のチンピラ学生に手を焼いているといったレベルではない。

普通の子供や普通の若者を普通に叱ることができない。
イデオロギーの対立とか歴史観の相違なんて高級な話じゃない。

約束やルールを守らないといった低いレベルの過ちに対して適切な処置ができないのだ。
相手を思いやりながら叱るといったことができなくなっている。

「最近の若者は・・・」という有名な歴史的慣用句はある。
しかし「最近の大人は」という言葉はあまり聞いた事がない。

あまりに情けない最近の大人たち。
いったいどうなってしまったのか。

教室でどうどうとタバコをすう高校生たち。
それを注意できない教師たち。

うちの道場で私の前でどうどうとタバコをすった高校生がいた。
私はただちにタバコをとりあげ応分の罰を与えた。

彼は直ちに反省し、以後そのような不埒な行動はいっさいなくなった。
私が一番不審に思ったのは、あまりに彼に悪気が無かった点だ。

私は彼に聞いた「学校では注意されないのか」
彼は無邪気に「はい、一度もありません」と答えた。

彼は生まれて初めてこの件で叱られたのだ。

「私援助交際してまーす」と平気でテレビカメラに向かって叫ぶ女子高校生。
これを注意できない親や教師たち。

いま大人たちが変になっている。
なぜ注意しないのだ。

「人はそれぞれの考えがありますから」
そういうレベルじゃないだろう。

「私が言わなくてもやがて社会の制裁をうけますよ」
逃避だよそれは。君(大人)が叱ることが社会の制裁じゃないのか。

今の情けない大人たちの原点は「嫌われたくない」の一点につきる。
娘や息子に嫌われることを病的に恐れる親の姿がある。

生徒に嫌われることを死ぬほど怖がる教師たちの実態がある。
女子社員から嫌われたくない男の同僚や上司。

腑抜けた男たちの集団がある。
逆ねらいの硬派気取りも同類だ。

子供は無邪気だけど無知なのだ。
だからかわいい。

しかし、間違いも多いし悪気がなくても傍若無人に振舞うことが多い。
ある程度の許容は必要だ。

だが限度を超えたことは毅然として叱る必要がある。
良いことは良いが悪いことは悪いと教えなければならない。

最近空手だ武道だと言う前の人間としての基本的な判断力のない大人が目についてしようがない。
大人は子供の目標でなければならない。

子供を指導するのは大人の義務である。
大人がだめになれば子供もだめになる。

子供がだめになれば家庭がだめになる。
家庭がだめになれば社会がだめになる。

大人がしっかりしなければ未来はない。

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