ヒット カウンタ

ダイナミックレンジの話



明日は東京造形大学で講義がある。(その後は楽しみにしているピアノコンサートがある)
明日の講義の予定は3DCG(三次元コンピュータグラフィックス)だ。

二次元(平面)のグラフィックスと三次元(平面)は、その手法は大きな違いがある。
特に、動きをともなったリアリスティックな動画を対象とするとなると、現在のコンピュータはハードに関してもソフトに関しても、理想とは程遠いプアな能力しかない。

ここで誤解しないように注意したいが、3DCGは、三次元空間を2次元空間に投射する技術であって、三次元そのものをリアルに再現する技術ではないという点だ。
(三次元そのものをリアルに再現すればそれは立体テレビのようなものになる)

しかし、最終的に2次元であっても、内部の演算は三次元で行わなければならないので、ちょっとした画像を作ったり動かしたりするだけで大変な計算量が発生してしまうのだ。
アニメのような立体画像を馬鹿正直に動かそうとすると静止画では考えられないほどの計算スピードと記憶容量が必要になってくる。

それで、いろんなソフト的な技術が生まれてくるのだ。
ソフト技術と言えば聞こえは良いが要するにごまかすためテクニックだと思えば良い。

コンピュータゲームやアニメの動画は基本的にはポリゴンと呼ばれる、三角形や四角形の多角形の集合として構成される。
これだけだと直線でできたワイフーフレームのようになり、現実感が全くない。

それでいろんなテクニックを駆使して質感を出していくのである。
この操作をモデリングという。

そしてそれに光りを当てたりより現実感をだすための処理をレンダリングという。
このレンダリングがやたらとコンピュータリソース(資源)を大食いするのだ。

ちょっと大掛かりなソフトでは超高速コンピュータを使って何日間もレンダリングさせている間ソフト屋は暇を持て余しているといった光景は珍しくない。
これがゲームなどの世界では、リアルタイムでレンダリングを行わなければならないので大変なテクニックを必要とする。

医療で使うMRIも分野で言えば3DCGではあるが、処理にリアルタイム性はそれ程要求されないのでゲームよりはある意味楽だ。
しかし、こちらは細部まで正確でなければならずゴマカシのテクニックは効かない。

明日の講義は動画のテクニックなので、いかにごまかすかといった事が主なテーマになる。
ボリゴンで作った基本設計をいろんな技法で骨を作り、皮をかぶせ、色や動きを付加し、光りをあてる。

大きな動きは目の錯覚を利用し、静止に近い画では細部を省かない。
目の錯覚を利用すると点で大変重要な概念がある。

それはダイナミックレンジだ。
画像で例を出すと例えば明るさの最大と最小の差の事だ。

人間の感覚は目も含めて想像を絶するほどの広いダイナミックレンジを持っている。
晴天の雪景色から月明かりの夜景までこの目という単体のセンサーで感受できるのだ。

恐らくこの差は120デシベル以上あるだろう。
この目の性能からみれば現在の液晶ディスプレーなんかオモチャのようなものだ。

しかし、我々はこのチャチなディスプレーの中の世界に十分現実感をもって浸る事ができる。
それは、「だまされてやる」といった積極的なものではなく、ごく自然に結果として「だまされている」という状態が普通の人の感覚だ。

我々は、人間の体が本来持っている恐ろしく広いダイナミックレンジを殆ど自覚することなく、人工的な狭小なダイナミックレンジの世界に違和感なく溶け込めるという特殊な能力があるのである。
溶け込めると言えば聞こえは良いが要するにだまされると言う事だ。

我々は明かるさや色彩、大きな音や小さな音、うるさいとか静粛といった感覚はその定量的な実態とはかけ離れたものに感じてしまう。
それは、こういった動画のソフトを作ったり利用する時のリソースの節約といった観点から大きな着眼的とするべき事を意味している。

リソースの節約は、単なる経済的な意味の節約を指しているわけではない。
アニメやゲームであれば、その節約されたリソース、例えばCPUタイムやメモリーは、よりスピードを増したり、精緻なピクチャーを作ったり、あるいは画面を大きくしたりといったより積極的な方面に力を回せることを意味する。

この実態を知れば、この人間の感性の実質ダイナミックレンジと感覚ダイナミックレンジの差は他の分野でも生かせるはずだ。

例えば空手だ。(やっと本題に入れる)
効く突きは、必ずしも絶対的なパワーのある突きでない。

そんな事を知ってるよ。
「水月とかレバーとかいわゆる急所という所に当てなければ効かないというやつでしょう」

確かにこれも間違いではない。
でも、ここで言いことはそういうレベルの話ではないのである。

我々は、感覚に関して大変幅広いダイナミックレンジを有するのであるが、その広大さを最小値から最大値まで一つのポジション(体勢、心構え)で保持しているわけではないのだ。
例えば、目は最初言ったようにめちゃくちゃ明るい光景から暗い光景まで感知できる能力があるけれど、それを瞬時に全ての明るさに対応できるわけではない。

いきなり明るいライトを消されると目がそれに慣れる(絞りを開く)まではしばらく時間がかかる。
現空研でも元気な連中が稽古のあと互いのボデーをど突き合って鍛錬している光景を時々みることがあるが、いきなり全力では始めない。

最初は軽めに始め、やがて互いに慣れてきた所でフルパワーの打ち合いにもっていく。
これは、耐久力といった面から見たダイナミックレンジの広さを高いほうに持っていくための準備時間を取っているという見方もできる。

どんなにボデーの丈夫な人でもリラックスしているときに不意に打たれるとたまったものではない。
逆に相当のパワーで打たれる事をあらかじめ予測し、体と心をそれを受け入れる体勢(目で言えば虹彩を絞り込んだ状態)に持っていけばかなりの衝撃に耐えることができると言う事だ。

打つ(効かせる)側から言えば、相手にそういった状況に持って行かせない(持っていこうと思っても間に合わない、あるいは予測を裏切られる)攻撃をすれば、効率よくダメージを与えることができるということだ。
ピアノのテクニックもその原理は応用されている。

ダイナミックレンジの広い演奏は表現に幅があり、より大きな感動を呼ぶ。
その感動を呼ぶダイナミックレンジの広さは必ずしも物理的ダイナミックレンジとは一致しないのではないか。

人間の耳(感性も含めた広義の)は、もともと驚くべき物理的ダイナミックレンジを持っているが、小さく聞きたい音を小さく聞かせるテクニック(感性も含めた広義の)で弾かれると、それはそのレンジをより広げるつまりより弱音と感じ、大きく聞きたい音をそうしたテクニック(感性も含めた広義の)で表現されるとより強烈な音か感じる能力(特性)を持っている。

上手なピアニストはこうしたテクニックを長い年月をかけて磨き上げている。
それは、たんに指が速くまめるとか、物理的な大きな音を叩き出せるとかいった次元ではなく、聞き手の要求する響きに応える、つまり互いの感性のダイナミックレンジを拡大させる方向に音を育てる能力といった意味でのテクニックだ。

明日(2006/10/27)は紀尾井ホールで川勝茉莉子さんのピアノコンサートがある。
オールショパンで構成されたプログラムだ。

彼女は私のピアノの恩師佐藤(末永)博子先生の娘さんだ。
そして私の修猷館高校の同級生でもある。

ものすごい才能の持ち主であったが彼女は病のため一旦音楽の道をあきらめる。
しかし、やがて幾多の困難を克服して2年前コンサートを開く。

私は招待され、そのすばらしい音楽に心を打たれた。
彼女から今回お手紙をいただき、その中で「身体の使い方」という一節があり、私の言う感性のダイナミックレンジを実践者の立場で言われていると感じた。

明日は現空研のIkeda君と修猷館の同窓生数名で行くコンサートが楽しみだ。

トップページへ