ヒット カウンタ

武道の本質

2010/01/05


面白い実験があります。
金網の遮蔽物の向こうに餌を置きます。

 

ニワトリはそれを食べようと何度もトライしますがその度に遮蔽物に遮られてなかなか目的を達することができません。
何度もトライするうち、たまたま偶然金網の向こうに行けたニワトリだけが餌にありつけます。

犬であれば、一瞬逡巡しますが、数回ウロウロとした後横に移動して金網の向こうの餌を手に入れます。
猿は、自分と金網き餌の空間的な配置を瞬時に理解して、何の迷いもなく最初から金網の脇から回って餌を入手します。

これは、この三者の目的達成能力の差をあらわしています。
ニワトリはなぜ餌をなかなか手に入れることができなかったのでしょう。

それは、餌と自分の関係を単一的な関係として捉え、それ以外の要素を考える余裕が無いからです。
自分と餌を結びつける最短距離である直線。これがステレオタイプ化したニワトリの知識なのです。

体力と根性のあるニワトリなら体当たりを繰り返すかもしれません。
そしてそれが成功する例もたまにはあるかもしれませんが良い方法ではありません。

犬は、ニワトリより体力がありますが、無意味な突進をする者はあまりいません。
一度くらいぶつかってみても無駄だと知ると、他の方法を考えます。

猿にいたると、自分と餌と遮蔽物の関係を鳥瞰的に理解し、目の前の餌から一旦離れる(脇によける)といった高度な行動を瞬時にとります。
猿にこうした行動をとらせるのが知恵です。

目的物への最短距離は直線です。
これは大原則であり、これを知って記憶したものが知識(常識)です。

大原則を知り、知識を持てば、通常の課題は解決できますが、少し込み入った状況になると解決できないことが多くなってきます。
知恵のある者はこうした状況でも一旦冷静な立場にたち、少し離れた視点から全体を見て最適な解を得ることができます。

人間は猿よりはるかに知恵がありますから、こんなレベルの課題はまったく問題ないように思えます。
確かに、金網の向こうの食物を手に入れる事で困難に陥る人は少ないかもしれません。

しかし、それは平和で冷静な精神を保たれる状況であればという但し書きがつきます。
昔テレビで、緊急時に鍵を開けさせたり、火が出た時の対処などを一般の人にやらせる実験を見たことがあります。

普段は簡単に開けられる錠前がパニックに陥ったときは何度やっても開かず、ますますパニックに陥っていくとシーンをおもしろおかしくやっていましたがこれは笑い事ではありません。
我々知恵ある人間でも少し状況がひっ迫するとニワトリのように最短距離の目的に無謀な突進を繰り返すような行動を起こす可能性が大いにあるのです。

生物は、原則として直接的な利得を得る方向に短絡的に走ります。
そしてたとえ知恵があっても状況に余裕がなくなると人間とて例外ではなくなるのです。

ひっ迫した状況でも冷静な精神と合理的な判断、行動を行えるためには、そうした状況をあらかじめ想定した行動パターンの訓練を行うことが有効です。
しかし、全ての状況を網羅することは不可能です。

想定外の状況は常に起こりうるという心の準備が大切です。
あらゆる状況を具体的に想起するのではなく、より一般化し抽象化した状況に冷静に対応するための心のあり方、これが大切です。

武道は、こうした原始的な生き物の生きるための本能に従った行動をより合理的に冷静に制御させるための訓練を継続的に行うための方法論なのです。
昨年、いろんな機会で批判した成果主義ですが、これはまさに短絡的な最短距離の利得を追求する行動様式を生む元凶になっています。

今日中に結果を出せ、今月中に成果をあげろ、今年度の目標を達成せよ、こうした激を飛ばす事は短期的な効果はありますが、金網に突進するニワトリを養成しているようなものです。

二宮尊徳の残した言葉に次のようなものがあります。
「遠くをはかるものは富み、近くをはかるものは貧す」

遠くをはかるとは、一旦は餌から離れても最終的により多くの餌を得るといった行動であり、近くをはかるとは餌に一直線に突進するような行動を指しているのは言うまでもありません。

尊徳翁はさらに続けます。
「それ遠きをはかる者は百年のために杉苗を植う。まして春まきて秋実る物をおいておや。故に富有なり」
「近くをはかる者は春植えて秋実る物をも尚遠しとして植えず唯眼前の利に迷うてまかずして取り、植えずして刈り取る事のみ眼につく。
故に貧窮す」

二宮尊徳の言葉は、そのまま武士道(武道)につながる考えです。
現空研の空手は、柔らかな決心で生涯武道精神を追求し、人生の勝利者になることを目指すものです。

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