ヒット カウンタ

アメリカンフットボールチャンピオンと勝負


いきなり大男が入ってきた。
顔の幅と同じくらいある太い首の精悍な青年は、つかつかと歩み寄ってきて、いきなり名刺を差し出した。

三和銀行と書いてある。
その当時、我が社は赤坂にあり、事務所にはダンベルやその他の簡単なトレーニング機具なども転がっていた。

彼はそれらを横目で見ながらつかつかと私の方に近づいてきたのであった。
「三和銀行の泉です。お取り引きお願いします。」

単刀直入の勧誘であった。
私としては、この立派な体格の男が、一目みて空手向きだと思った。


写真は彼ではありません

「このダンベルをカールで挙げて、俺に腕相撲で勝ったら、口座を作ってやる」
「わかりました。挑戦させてもらいます」

話は簡単だ。
47.5キロのダンベルは、ちょっと力自慢といった程度では絶対挙がらない。

失礼します、と言って上着を脱いだ体を見て、これは挙げるかもしれないな、と思った。
異様に盛り上がった上腕二頭筋は、ただ者ではない。

何と、彼はダンベルを簡単に挙げてしまった。
大変なやつが現われたもんだ。

いよいよ腕相撲で勝負することになった。
私は、彼に言った。「もし俺が勝ったらうちの道場に入門するか」

彼は即座に「いいですよ」と言った。
すごい自信だ。

私も同じダンベルを挙げてみせてデモンストレーションを行った。
いよいよ、勝負だ。

勝負は、
左手は勝ったが、右手では負けてしまった。

「右手で負けた分で、口座を開くけど、左手で勝った分で内の道場に来い」
という交換条件で、私は三和銀行に口座を開き、彼は、我が道場に入門することになったのである。

銀行員とはとても思えないこの青年は、1983年アメリカンフットボールで京都大学が学生日本一になり、その後社会人との日本一決定戦でも勝利し、最優秀ラインマンとして表彰された泉 信爾氏で今も三和銀行チームで現役選手として活躍中であるということは後で知った。

そのすぐ後、彼はNHKの7時のニュースで取り上げられ、京都大学時代の朋友の東海選手とテレビ出演した。
しばらく道場に通い、忘年会や私のテレビ出演のときも顔を出してくれた。

フットボールの方が忙しく、やがて、そちらに専念することにはなるが、印象に残る人物だ。

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