ヒット カウンタ

高校時代の悪友と飲んだ-続き


この話は多くのバージョンがある。

一番有名な話(と言っても酒飲んで馬鹿話する我々のグループだけの世界かもしれないが)は、
修猷館側は人数が少なく、といっても乱闘に参加したのは10数人で、西南大学(高校連合軍)はその数倍の人数がいた、という話である。

西南側は柔道部やボクシング部の猛者が揃っており、最初我々修猷館側はケチョンケチョンにやられるのである。
しかし、修猷館側にとんでもないやつがいて、そいつがどこから持ってきたか日本刀を振り回すのである。

たちまち形勢は大逆転し、西南側は蜘蛛の子をちらしたように消えてしまう。
という話だ。

この話にはさらに細かいエピローグがあり、日本刀を持った男が西南側のボスを追いかけて行き、男が大学の校舎に逃げ込んだあとも執拗に追いかけ最後にとどめをさすというものである。

とどめというのもいろいろ話があって相手の太ももを刺したという話や逆に刀を奪われて片手を切り落とされたというものまである。

我々は当事者なので何がどうなったのかは全て知っている。
話すやつには我々が当事者とは知らないで、さも目の前で見たかのごとく話すのもいる。

われわれは当然面白いので知らないふりをして黙って聞いているのだ。
しかし、まことしやかに語られる逆の話もあるらしい。

店で喧嘩を売った修猷館の高校生が西南の高校生をポカポカ殴っているところに、当時の加山雄三扮する若大将風のきりっとした大学生(当然西南大学)が割ってはいり「君達暴力を振るうのはやめなさい」とかなんとか言いながら修猷館の学生を片っ端から投げ捨てた、というのだ。

この話では投げ捨てられるのは我々ということになるので当然面白くないし、第一、話がまったく違うことは当事者である我々が一番良く知っているのである。

こういった類の話は、当事者がきちんと話のおとしまえをつけないと今後いろんなバージョンが発生して何が真実かわからなくなるぞ、ということで、他那架とあるジャズクラブで飲みながら「正史修猷館対西南乱闘事件」の細部を確認することにしたのである。

いや別にこれが目的で飲んだわけではないのだが、飲兵衛はどんなことでもそれを理由にして飲むことができるのである。
ここで、困ったことが起きた。

他那架の記憶と私の記憶がかならずしも一致しないのだ。
まず、乱闘に参加した人数から異なる。

私はこちらは5、6人いたように記憶しているのだが彼は3人だと言う。
その3人は我々2人とあと1人、穂師野であることは共通認識だが、残りのヤツに関しては記憶が違うのだ。
(しかし、あと1人は判明した。富士井だ。富士井は何を思ったかこの年になって早稲田の大学院に通っていて、卒業式のため東京に来たおり久々の再会をしたのである。その時この事件の当事者として富士井も居たことを確認した)

話は飛ぶがこの他那架と穂師野について。
私と他那架は名前のあいうえお順でもわかるように、出席番号が隣どうしなのだ。

大体高校生の友達になる理由なんてたいしたものはないのだ。席が近いというのが殆どの場合きっかけの大半である。
私は「そのだ」であるので,さしすせそ、たちつてと、あたりで始まる名前の友達がやたらと多い。
タナカやタカサキ、スギヤ、ソエダ、皆そうだ。

他那架の場合はやたらと血の気が多く、勉強も自分が受ける私立大学の教科以外は一切勉強しないという徹底したやつだったので、学校の成績は一切気にしないという私とは自然発生的に友達になったのだ。

穂師野はラグビー部の主将で並外れた体力の持ち主でその顔つきから喧嘩を売ってくるやつなど一人もいなかった。
あの事件までは。

穂師野の思い出で印象に残る言葉がある。
あるとき放課後の教室で何かの行き違いで私と穂師野に険悪の空気が流れたことがある。

私は腹の中で、「こいつに正面から向かっていったら大変だ」と感じながら睨みあった。
その時、やつが「おい、後ろから不意打ちは無しにしようぜ」と突然言ったのだ。

我々3人(あるいは4人)は間違いなく勉強の方はクラスの最低に近かった。
しかし、不思議なことに他那架は現役で早稲田の政経に入り、穂師野は浪人したが早稲田の法科に入った。
あれでもやるときはやっていたのかな。

で他那架は早稲田で少林寺拳法部で活躍し、穂師野はラグビー部に入りついにレギュラー選手になる。
私は京都で浪人することになり、そこで3年間の浪人生活をおくり勉学にいそしみながら剛柔流空手を始めることになるのであるが、その話はここでは省く。

ところで、この話をこのホームページに載せたところ、私が知りもしなかったいろいろな新事実が出てきたのである。
その最たるものはあの日本刀男乱入事件は実際にあったという話だ。

しかも、ウソか本当かは分からないが、ホシ(ではないか)の名前も挙がっているのである。
もちろん私ではない。

しかし、私にはそういう風景の記憶がまったくない。
話を整理してみると、どうも似たような時期に同じような事件があり、そちらでは誰かが日本刀を振り回したという事実があるらしいのである。

それが、こちらの事件も西新町の商店街の真中で日中繰り広げた乱闘なので、派手な話どうしがどうも混同されたかあるいは故意に歪曲されたものであるらしい。

まあこれはこれで十分真相を確かめるために真相究明委員会を作って近いうちに会合を開かねばならなくなっておる。

で日本刀なしの本当の乱闘のほうの真相はどうなんだ。

まず、相手は本当に強かった。
相手は結構人数もいたけど、結局向かってきたのはあのガタイの良い大学生一人だったのだ。

こっちは他那架の説をとっても4人。

「なんばしよっとや」とドスの効いた声で詰め寄る大学生。
黙ったまま、最初のパンチを繰り出したのは穂師野だった。

見事な右フックだった。
店の扉が外れて外に倒れた。

もんどりうって外にころがり出る二人。

続いて飛び出した私の前にヤツがいた。
パツン、パツン私は2発のストレートを見舞った。

「ナンヤーオマエラー、」と大声を出す大学生。
ものすごい腕っ節が私の前で空を切った。

ドスンと脇から誰かがヤツにケリを入れた。
「ウオー」と仁王立ちになる大学生。

そこにまたしても穂師野の右フック。
終わった。

とその時は思った。

注)最近(平成14年)30年ぶりに同級生の富士井君と再会した。そのとき彼もこの事件の当事者であることを確認できた。
したがって文を少し訂正した。(3人→4人) しかし、全部を見直したわけではないので(特に続きの部分)、人数が3人になったり4人になったところがあると思うが、3人だと思って書いたあと、4人だったことが判明し書き直したための矛盾であること了承願いたい。私はもう少し居たようにも思う。



つづく

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