究極の防御方法

2015/08/14

武道の大きな目的の一つに護身というものがある。
これは、攻撃ではなく、守るという事に視点を置く考えだ。

この防御という行為に、実際に武道を実践したことのない人に大きな考え方の誤った傾向を見ることができる。
それは、攻撃と防御を分けて考えるという傾向だ。

もちろん空手でも突きや蹴りといった攻撃技と上段受けや下段払いといった受け技が存在するし、ボクシングでもストレート 、フックといった攻撃技とガードやダッキングなどの受け技が存在する。

しかし、これは互いに独立して存在するものではなく、相互の微妙な関係性の中で機能するものだ。
初心者はそれぞれ個別に稽古し、基本的な動作と習得するが、それを使えるレベルまで高めるには、攻撃と受けは同時にその 関係性を感じられる形で稽古しないと身につかない。

そこの所を武道の門外漢の人たちは良く分かっていない。
もちろん、分かっていなくてもあまり通常は問題はないのだが、わかりもしないのに論を展開する人たちがたまに居る。

エンターテインメントとしてのスポーツの中での論議なら、下手の横好き、床屋談義で大した害はないのだが、教育政策や防 衛論議でこうした軽薄な防御理論を展開されると本当にいやになる。

空手だけに限らないが相手の攻撃に対して受け技で対応するということは゛その時点で何等かの被害を覚悟しなければならない。
例えば中段の回蹴を教科書的な下段払いで受けたとしよう。
これが成功するかどうかは双方の技量、体力、部位の鍛え方で変わってしまう。

例えば素人がにわか仕立てで覚えた下段払いで受けたとしよう。
少なくとも茶帯以上の空手家が本気で蹴っていたら間違いなくその腕は折れてしまう。

「え、私はまだ白帯だげど腕折れた事ないですけど」
たまに居るんだこういう素人。

貴方を相手にしている上級者はみな手加減している。
上級者同士でも互いに手加減している。

稽古とはそんなものだ。
特に言われなくても強い人は初心者や体の弱い人にはそれ相応の対応をするのが普通だ。

たまに初心者が勘違いして自分は強いんだという思い上がった行動をとったとき上級者は教育的指導の意味でちょっと強めに攻撃することもあるだろう。
しかしほとんどの場合はこれでもかなり手加減しているはずだ。

本気の相手の攻撃を無傷で防御するというのは簡単なことではない。
というか圧倒的な力の差が無い限り不可能だと思ったほうが良い。

それでは素人の防御は無意味なのた。
決してそうではない。

最初の例、中段蹴りを受けて腕を骨折したとしよう。
これは、見方を変えると腕を犠牲にして命を守ったという事もできる。

そのまま胴体にまともな蹴りをくらったら内臓破裂で死ぬかもしれない。
それを腕一本の犠牲で防いだのだ。

防御とはこういう事だ。
つまり相手の攻撃から無傷でいられることではなくより少ない犠牲で大切なものを守るということなのだ。

人は危険が迫ったとき本能的に身を守ろうと動作する。
これは長年の進化で生物が身につけたものだ。

しかし、それは統計的には有意であってもおおざっぱな動作であり個々の状況に対しては決してベストな対応とは言えないものが多い。
人は殴られそうになると目をつぶって顔を背けてしまいがちだ。

これは老若男女の平均的な行為としては被害を少なくする方向性はあるが、決してベストではない。
自然現象で石が飛んできた場合はこれでも良い。

しかし悪意のある人間が殴りかかってきた場合は、一撃をかわしてもすぐ第二、第三の攻撃があるだろう。
目をつぶって顔を背けるという行為は、その後は相手は思うままに攻撃できる体制になったということだ。

目はしっかりと開けて相手を見、相手の力を類推して適宜に反撃するなり脱出するなりの判断、行動を取るのがベストだ。
高度な戦略としてはそのまま相手に殴らせるという選択肢もありうるだろう。

どういう選択肢を取るかというのは、相手の能力と自分が持つ攻撃力を含んだ総合力との関係による。
つまり、防御の方法はそれだけ単独で決定できるものではないのだ。

こちらに攻撃の意思が無ければ相手は攻撃してこない、という単純で馬鹿げているがわりと昔から真面目に語られる考えがある。
今日もあるテレビの討論会で「私は85年間誰からも殴られなかったし誰も殴らなかった」と自慢している人がいたが幸せな人だと思う。

その人は国の防衛論議で平和を唱えて軍備を持たなければ戦争は起きないと思っていて、それを個人の経験から類推しているのである。
いきなり理不尽な暴力を受けて殺されたり怪我している人は毎日のようにニュースになっているのに。

こうした極論は別にしても、防御の方法をしっかり押さえておけば暴力は防げると考えている素人は思いのほか多い。
しかし事はそう簡単ではないのは先に述べたとおりだ。

防御とは受けた攻撃を最小限にする方法を攻撃方法も含めて総合的に考え実践することなのだ。
攻撃はせず、こちらも無傷で済ませる魔法ではない。

いつでも反撃できる姿勢や体制を相手に感じさせる事も有効な防御である。
それは相手が人とは限らない。

野生の猛獣と出くわしても背を見せて逃げるのは良くないと言われている。
敵意は示さず、しかし決して油断せず、恐れず、来れば応戦する決意を持ってしずかに後退するのが良いらしい。

これは対人間でも同じだ。
もし暴漢に襲われ逃げられない状況であれば、許しを請う行為は殆ど効果はない。
許しを乞うて止めるような奴なら最初からいきなり襲うような行動はとらない。

こちらが無傷でいられる事をまず諦める事。
そして最少の犠牲で窮地を脱することを考える。

命を守るためには腕の一本くらい犠牲にしても良いと覚悟を決める。
その後相手を倒す方が良いか逃げる方が良いかは状況による。

私は一定のレベルに達した会員にはある防御方法を教える。
それは具体的には文章で書くことは難しいのだが考えは以上述べてきた考えに基づく。

無傷を前提にしない。
目を閉じない。
最少の犠牲で最大の攻撃を加える。
しかし「やさしさ」を忘れない。

技巧的には球技で言うゾーンディフェンス的な考えだ。
完璧ではないが確率的に生存率を上げ、最悪こちらは無傷ではなくても倒れるのは相手。

それは初心者には正直難しい。
やはり一番のネックは恐怖心だ。

勝負で無傷でいたいために逆に傷を深くする事はありがちなのだ。
強い者の弱点もここにある。

多少の犠牲を勇気を持って覚悟することで窮地を脱する道は大きく開ける。
これは空手など武道だけには限らない極意だ。



 

トップページへ